神指城跡、商工業と流通を見据えた築城計画

過日、会津に行った折、神指城跡を訪ねた。会津盆地の中心部、大川に近い田んぼの中に、土塁と堀跡など遺構が残る。豊臣政権5大老の一人として、会津120万石で越後から移封された上杉景勝が、直江兼続に築城を命じた城。直江状に激怒した徳川家康の会津討伐の口実とされる。
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樹齢500年以上の国の天然記念物「高瀬の大ケヤキ」は、二の丸土塁の鬼門の木とされ、築城当時も巨木だったという。
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神指ヶ原の13カ村を周辺に移転させ、慶長5年(1600年)2月から、慶山の石切り場から延べ12万人を動員し、本丸は高石垣、内堀をめぐらし、二の丸に三方の城門を構えた「回」の字形の縄張り。鶴ヶ城の2倍の城域をもつ。
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慶長5年6月、徳川家康の会津出兵によって、築城は中止された。関ヶ原に破れた西軍、上杉は米沢に移封となり、本丸の石垣は破城された。その後神指城の石垣は鶴ヶ城の西出丸の石垣として持ち去られたという。本丸跡から出土したといわれる大石が往事を忍ばせる。
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NHKの大河ドラマ「天地人」で紹介された後とあって、県外ナンバーの車が多い。本丸跡は私有地で畑と山林になったが、「神指城を守る会」のみなさんが天守閣跡の紹介立て札や小道の整備してくれている。商工業と流通を見据えた築城計画の壮大さを思いながら、その本丸一周コースをたどって、廃城となった神指城を忍ばせて頂いた。感謝。
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by kazu1206k | 2009-09-20 22:01 | 文化 | Comments(0)

佐藤かずよし


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