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戦争体験を継承する

 2015年8月15日、戦後70年の今、日本は歴史的帰路に立っている。
 2013年12月秘密保護法が国会で強行採決され、2014年7月集団的自衛権の行使を容認の閣議決定、そして今国会に憲法違反の「平和安全法制整備法案」「国際平和支援法案」が提出された。
 立憲主義を否定する安倍内閣に対し、多くの憲法学者が憲法違反を指摘し、国民多数が反対の行動を起こしている。しかし、安倍内閣は、衆議院で強行採決を行い、戦後の平和国家から「戦争のできる国」に転換を図るため、暴走し続けている。
 戦後70年にあたり、アジア太平洋戦争で犠牲になった全て人々に対し謹んで哀悼の誠を捧げるとともに、新たな戦争を何としても止め、平和でより人権が保障された日本をめざして、全力をあげていく決意を新たにする。

 以下に、6年前の8月15日のブログを再掲する。

終戦の日、父の戦場体験の継承

64年前の1945年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送があり、1937年7月7日の蘆溝橋事件以降の日中戦争、1939年9月1日以降の第二次世界大戦が終った。
軍民併せて6.200万人の膨大な犠牲者。日本、ドイツはじめ帝国主義諸国による侵略戦争によって、アジア・アフリカなど多くの植民地諸国、帝国主義本国の市民が、無差別爆撃、大量殺戮、ホロコーストと筆舌に尽くし難い地獄の惨禍を味わった。

第二次世界大戦の末期、人類は初めて、ヒロシマ・ナガサキで原子爆弾の悲惨を目撃し、核の時代に突入した。戦後も世界各地で戦火はやまず、米ソ冷戦に入って、核兵器の軍拡時代が長く続く。ソ連崩壊による冷戦終結後も民族対立、地域紛争が続き、核の拡散も終止符を打つことができない。

私の父は、鉄道員であった。招集されて海軍航空隊の通信兵として、フィリピン戦線に投入された。アメリカ軍の圧倒的な物量の前に戦線は敗北、父も被弾、ジャングルでマラリヤと飢餓の中に生き延び、終戦を迎えた。終戦によっても兵士は打ち棄てられ、ジャングルの死の彷徨をへてアメリカ軍に発見され投降したときいた。
戦後復員して、母と結婚し私もうまれた。父は、わたしと一緒に風呂に入ると決まって、フィリピンでの戦場体験を話した。マラリヤ、飢餓、戦友、アメリカ軍の攻撃、投降の呼びかけ、士官と兵卒、多くのことをきいた。父の伝えたかったことの何分の一か。わたしの小さな子供心に刻み込まれた。
私は引継がねばならないと思う。そう思って40年近くが立つ。

私の政治活動の原点、社会活動の原点は、父の戦争体験にある。
父の戦場体験をきいたことから全てが始まっている。
戦争を起こしてはならない。平和こそが、全ての原点である。

2009年08月15日
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by kazu1206k | 2015-08-15 23:04 | 平和 | Comments(0)

佐藤かずよし


by kazu1206k