水産業、水産加工業の苦境
2011年 04月 18日
巨大津波からひと月が経ち、この日は日曜日とあって、市民が協力しあって瓦礫や津波が運んだ砂を土嚢袋に積め撤去作業を行っていました。現場でお会いしたある中学校の校長先生も、町内で協力して、下水排水のため瓦礫や砂で埋まった側溝を整備したとおっしゃっていました。
豊間や薄磯地区は、いわき市内のカマボコ工場が集中していた地域でしたが、津波で壊滅的な打撃を受け、加工場や冷蔵庫が全半壊、今後の生産活動をどうするのか大変な苦境に立たされています。カマボコ工場を営んでいたある水産加工業者の方は、津波で甚大な被害を受けた上、東京電力が放射能汚染水を太平洋に捨てたことで海が汚染され、すり身など原材料を他の地域から取り寄せて加工しても、いわき産のカマボコが果たして売れるのか、と心配しておりました。そして「廃業だという人も本心では事業を再開したい、この現状を打ち破るために、誰かが水産業者、水産加工業者をまとめてくれればいいのだが」、と苦しい心情を吐露されていました。
いま、いわき市内はじめ福島県内の水産業者、水産加工業者は、津波被害と放射能汚染の二重苦の中にあり、死活的な状況下におかれております。水産都市をめざしてきたいわき市は、水産業、水産加工業の再建のために、全力をそそぐ必要があります。東京電力と国に対して、被害補償や損害賠償はもとより緊急的かつ適切な資金融資を進めるよう、市として強力に求め、水産業者、水産加工業者を支えていく時です。