佐賀でのお話
2011年 08月 12日
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8月7日、福島県いわき市から、市議会議員の佐藤和良さんがお話に来られました。
6日、広島訪問の後、7日に佐賀入りされ、午前中は玄海町を訪問されてから、裁判の会事務所へおいでいただきました。
腕は真っ赤な日焼けのあと。日頃のご活動によるものでしょう。お話の内容はもちろん、とても暖かくて誠実なお人柄に触れ、胸が熱くなりました。
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【佐藤さんのお話メモ】
●佐賀、玄海に来て
楢葉町の生まれ。高校からいわきに住む。子ども2人を育て上げ、今は妻と2人暮らし。
1988年から脱原発福島ネットワークの活動に関わっている。市議は2期目。
8月5,6日に広島に行って来た。原爆被害と原発被害で意識の差があるのを感じた。
また、西日本に来て、東日本で被曝をよぎなくされている人々と、西日本の人々との意識のギャップを感じる。
今日は玄海原発エネルギーパークを訪れた。福島第一原発にもサービスホールと比べたらすごいものだった。原寸大の加圧水型炉があったり、植物園、遊具施設、テーマパークまである。子づれ家族がたくさん来ていた。
福岡から来た赤ちゃんづれの若いお母さんに話を聞いた。「放射能はこわくないか」と聞くと「こわいです」。「でもここは遊具があって遊べますから」と。
福島原発でも、国民を洗脳するために、いろいろやられていたが、玄海のようにファミリーがのどかに過ごしているのを見てびっくりした。西日本、東日本の放射線被曝に対する感じ方がこうも違う。
現地で活動しているものが語り継いでいく必要がある。市民のつながりをつくっていきたいと思い、今日は佐賀に来て話したいとこちらから頼んだ。
玄海町長や佐賀県知事のふるまいをみて、再稼動止めるのに私が何らかの役に立つならと思って。
●福島第一原発の昨年の事故
福島第一原発では去年6月17日に全電源喪失、水位が下がったということがあった。ブログに書いたら、推進派から「メルトダウンなどするはずない」などと反響がものすごくあった。。推進派にとってそれほど衝撃的だったのかなと思う。
中央操作室でメンテナンスをやっていた人が、スイッチをさわって、全電源喪失にまでいってしまったという説明が1ヶ月後に出た。ヒューマンエラーだったと。それにしても、作業員がちょっとしたことでダウンするシステムなのかと。
福島第一のマークワン型とは原子力潜水艦用につくったものを商業用にしたもの。1967年頃からつくりはじめた。今の技術からすると、ものすごく古い。スーパーコンピュータもない。設計図も青焼き。そういう実験炉として福島に持ってこられた。設計、施工をしたGEから日立、東芝へわたされた。運転だけをマニュアルどおりやるようまかされたということ。未熟な技術で、原子炉として完成されたものでもなかった。アメリカ自身も問題にしてきたが、30年設計のものを40年も運転してきた。保安院は今年2月にOK出したところだった。そもそも基本思想に誤りがあったのに。
去年6月に感じたことは、依然として東電も国も国民の安全など考えていないということ。1日稼動しないと1億円の損失。だから止めないで継続運転する。住民の安全は無視して。その1つの象徴が去年の事件だった。
●プルサーマル
もう1つ問題。99年のプルサーマル計画は、私達もいったん押し戻した。
凍結されたプルサーマルを、去年6月に佐藤雄平知事が受け入れ、8月に稼動した。
佐藤栄佐久・前知事は、反原発でなかったが、GE技術者が内部告発していたのを東電、国が一緒になって1年間公表しなかったことがわかり、様々な不正が見つかり、「住民の意見も聞かず、知事の意見も聞かず、ブルドーザーのように国策を進めるのに反対」とプルサーマルは完全撤回となった。
そして、前知事は「核燃料サイクルは成立しない。使用済み燃料も再処理でなく、直接処分などワンスルーでいくしかない」と検討会で報告。国のエネルギー政策をすべてひっくりかえすような話になり、国としてほっておけないということで、厚生労働省で冤罪事件となった村木さんと同じく、東京地検特捜部が弟の金の問題で逮捕、起訴した。事実が確定しないまま、有罪となった。今、最高裁で審理中。要するに前知事は国策に反対したので首を切られたのだ。その後の、佐藤雄平・現知事が検討会決定をくつがえし、プルサーマルOKとなった。
昨年6,7月に東電交渉を何度もやったが、彼らは何を言っても、最後は安全だと。だらだらと説明はするが、最後は実証的な説明はない。双葉地方原発反対同盟のIさんと「ここまでくると事故しかないな」などと話していた。
●3・11
我々は原発反対の第二世代としてやってきたが、廃炉に向けて、Uさん達30代40代を第3世代にしていこうと、去年11月にハイロアクションを始めた。3月26日に予定していたオープニングイベントを準備しているその時に大地震。これまで体験したことのない揺れだった。延期し、緊急アクションを行ってきた。
3月11日夕方、官房長官が大丈夫だと話していた。夜更けるになるにしたがって、ベントをするという話が出た。背筋が寒くなった。原子炉の中で過酷事故が起きてしまっては大変なので、起きる前に圧力をぬくために、炉内の蒸気を環境中に出すということだ。1993年頃、東電交渉の中で、アメリカ原子力規制委員会(NRC)に言われてベントをつけることになった。それまで安全安全といっていたのに、それはおかしい、つけるということは炉心溶融までいくということ、それを認めたわけだ。ベントは住民に放射線をしいる。なんとか事故を防ごうと30年間やってきたことが、無になる瞬間だった。11日夜に原発労働者が家族に携帯で「逃げろ」と電話。
3月12日、午前5時頃、自衛隊の大型ヘリが2台、関東方面から原発に向かって飛んできた。それが問題になった、菅総理の訪問だった。
ベントをしたところで問題にならないだろう、海水を入れるしかないだろうと思ったが、東電が躊躇して、遅れた。鉄塔が倒れたから電気が途絶え、配管も破断していた。
結局、安全神話でどっぷりつかっていた人たちに、危機管理などまったくできなかったということ。吉田所長もがんばったと言われているが、本当のところはわからない。オフサイトセンターはとっとと福島市に逃げた。いったん核事故が起きれば、防災計画など吹っ飛ぶ。EPZ、防災重点地域、何も意味ない。これが福島の教訓。原発を止めるしか防げない。彼らは何をいっても安全。ストレステストも同じだ。
●子ども達を避難させよ
いわきには立地町の住民が国道6号でどんどん南下してくる。それを見て、我々も避難しなければと。いわき市34万市民のうち半分が1週間で避難したろう。水道が完全にアウトになった。トイレも風呂も飲み水もみんななくて、給水車。18日にペットボトルの支援がきた。うちは1600世帯の町だが、配布できたのは1000未満。隣組は13世帯中5世帯だけ残っていた。東京や秋田に逃げていた。
水道は4月1日にきた。4月6日、小中学校再開というので、は子ども達が戻ってきた。私達は子どもを戻さないために、教育長に面会して、2ヶ月休校せよと申し入れた。最悪、やるならば、線量計を全校に配布しろと。しかし結局6日に始まってしまった。自主避難の人たち、子ども達が戻ってきた。
それから5ヶ月。自主避難する人が増えている。福島市の保育所などで避難したのが1240人。今、2000人という。
3月15日は風向きで東京や静岡まで流れた。15日夜から未明にかけて高いところでは雪、低いところでは雨となり、それによって放射性微粒子が大地に降り注いだ。21日も北西からの風で南に流れた。関東がやられた。
いわき市にもホットスポットがある。そこに子どもや住民をおいておくことはいいことではない。避難させるべきだというと、ある市長は「そんなことをしたら福島県に人がいなくなっちゃうよ」と。その前に人が死んじゃうでしょという話だ。
だから除染、除染と言っている。中通りは1.2マイクロ毎時前後。そこで暮らすということは、0.6で放射線管理区域だから、それ以下、0.4とか0.3にするもの。除染をやらないよりはやったほうがいいというだけ。通学路の除染とかいうが、それで放射線防護になるのか。子どものことを考えると、しばし九州の人たちに見守ってもらうのがいい。
民間でサマースクールというが、公でやってもらわないと、現実的には費用がかかって、行けない子どもが多い。
●食品の放射能汚染
食品汚染が農産物から始まり、酪農関係に広がった。海産物について県漁連は出漁停止。モニタリングしているが、多いのではキロあたり1200ベクレル。低いのでも30ベクレル。9月段階で出漁停止をやめようという話もあるが難しい。県立水産高校がハワイでとってきたのが、小名浜での初めての水揚げだった。
かつお漁は常磐沖で獲ったら、いわき市の小名浜に揚げるが、流通が受け付けない、つまり消費者が「小名浜沖」「常磐沖」というと買ってくれない。そして、気仙沼で揚げたものが出回った。小名浜港にあがらず、気仙沼に揚がっただけ。これは、宮城漁連と茨城漁連が獲っているということ。福島県漁連としてはおよそ40種のサンプル調査を真面目にしている。
こうしたことがこれからもどんどんできくる。被曝の最小化を考えると、パッケージに何ベクレルと表示するしかない。そういう時代になってきているのが現実の世界だ。ベクレルモニターをいわき市に、スーパー各店舗にいれろとスーパーの総務に話したが、笑われた。
広河隆一氏がベクレルモニターを福島市の市民団体に寄付した。家庭菜園のものを調べられる。230ベクレルから20ベクレルと。野菜、牛乳。そうやって自己防衛するしかない。市民運動だけではだめ。自治体それぞれ食品汚染を知るためにやるよう要求している。
いわき市でも、ゲルマニウム半導体検知器をいれるとなると一基3000万円かかり、時間もかかるので、今年の夏野菜に対応できない。食品をさばいて、刻んで、加工して、食べれる状態にして、1時間とか時間かけてやらないといけない。しかし、富士電機で450万円ぐらいで、12秒で測定できる装置を500台つくるという話もある。
子どもを放射能から守る福島ネットワークは今、メンバー500人。いわきでもできた。私らが20年かけてやってきたのを軽くのりこえるぐらいの勢いだ。必ずしも脱原発ではなく、とにかく子どもを守れと。私達はそれをバックアップしていきたい。
●原発推進国家総動員体制をおわらせよう
戦前は天皇制を頂点にした国家総動員体制だった。そのいきつく先が原爆だった。戦後も、社会の中でも企業の中でも国家を優先するという教育がなされ、原発推進国家総動員体制となり、そのいきついた先が今回の事態だ。8町村だけで8万。100万近い人が被曝者にさせられた。そこの責任追及をきちんとやらねば。
政府の事故委員会は、事故責任の追及をしないと早々と決めた。東電の責任が第一だが、それを許したのは保安院、原子力安全委員会、経産省だ。政治の側からは中曽根、正力、自民党政権。田中角栄は電源3法をつくり金で買収した。玄海町の建物は役場も町民会館もすごい。保守系の政治家、町長、彼らは今、被害者面しているが、みな共犯者だ。福島でもそれが問題だ。あなたたちが進めてきただろう!
マスコミも総動員のために体制をつくった。教育もすごい。環境エネルギー教育では、再処理まですばらしいと教える。
原爆も原発も、これは人類に莫大な被害をもたらす。コントロールできない。これはやめるしかない。原子力村を解体するしかない。
古川知事のやらせメール問題もあるが、保安院が全部やらせている。新たに安全庁をつくるというが、だまされてはいけない。経産省を変えねばならない。安全庁は調査、訴追権限のある、国家独立行政組織法に基づく、独立した委員会にしなければ意味がない。でなければ、表紙をかえただけで、焼け太り、原発の推進体制はびくともしない。
今、電通、博報堂中心に反撃の動きがあるらしい。菅のような「なんちゃんって脱原発」もいる。工程表などのいんちきだが、それに負けないようにしなければいけない。