66回目の終戦の日に
2011年 08月 15日

今年の夏は、わたくし自身の社会活動の原点の一つである広島の地を、縁あって41年ぶりに訪れました。わたくし自身が報告者の一人となった集会で、94歳でかくしゃくとしておられる被爆医、肥田舜太郎先生や原水爆禁止運動の父といわれた故森滝市郎先生の娘さん平和活動家、森滝春子さんにお会いすることができ、しかも暖かく力強い励ましの言葉をいただきました。
この原発震災を体験し、チェルノブイリをこえようとする福島原発の放射能汚染事故の中で、長期的な低線量被曝にさらされながら、人々は生きています。わたくしは、福島の地で核の惨事に向き合い、「ヒバクシャ」として生き、闘い続ける、新たな力を広島の2日間でいただくことができました。
66回目の終戦の日の今日、一昨年8月15日のブログに記した、わたくし自身の原点を確認して、人々が平和で文化的な生活を送る「生きる権利」ー生存権を守るために、核と放射能汚染と闘う決意を新たにしたい、と思います。
「私の父は、鉄道員であった。招集されて海軍航空隊の通信兵として、フィリピン戦線に投入された。アメリカ軍の圧倒的な物量の前に戦線は敗北、父も被弾、ジャングルでマラリヤと飢餓の中に生き延び、終戦を迎えた。終戦によっても兵士は打ち棄てられ、ジャングルの死の彷徨をへてアメリカ軍に発見され投降したときいた。
戦後復員して、母と結婚し私もうまれた。父は、わたしと一緒に風呂に入ると決まって、フィリピンでの戦場体験を話した。マラリヤ、飢餓、戦友、アメリカ軍の攻撃、投降の呼びかけ、士官と兵卒、多くのことをきいた。父の伝えたかったことの何分の一か。わたしの小さな子供心に刻み込まれた。
私は引継がねばならないと思う。そう思って40年近くが立つ。
私の政治活動の原点、社会活動の原点は、父の戦争体験にある。
父の戦場体験をきいたことから全てが始まっている。
戦争を起こしてはならない。平和こそが、全ての原点である。」