保安院秘密指示文書
2012年 05月 18日
海渡雄一弁護士は、「再稼働だけでなく、今後の原子力安全行政を左右する重大な問題だ」としています。
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2012/05/18
保安院秘密指示文書が明らかにした保安院、原子力安全委員会の正体
海渡 雄一(弁護士)
1 2006年4月保安院による秘密指示発覚
経済産業省原子力安全・保安院が2006年4月、原子力安全委員会に対し、旧耐震設計審査指針(以下「旧指針」という)に基づき建設された原発について、安全性に問題がないと表明するよう要求していたことが5月17日に発覚した。
新指針の制定は、2001年に遡る。1995年阪神淡路地震の時には、指針見直しの動きは表面化したものの、現実の動きにはならなかった。2000年に発生した鳥取県西部地震が地表に現れていた断層から想定される地震動を上回るものだったため、原子力安全委員会は2001年から旧指針見直しの作業を始めた。しかし、この作業は難航を極め、最新の地震学の知見などを盛り込んだ新指針が定められたのは2006年9月となった。この新指針の策定に先立つ2006年3月24日、金沢地裁の井戸謙一裁判長は、志賀二号炉の運転差し止めを認める判決を下した(判例時報1930号25頁)。この判決は新指針の制定直前に言い渡されたが、むしろ私は、指針の不備を判決で指摘された国が、急いで指針の改定論議を打ち切って指針の改定を行ったと感じていた。
2 2006年3月24日志賀2号炉原告勝訴判決の内容
井戸判決は耐震設計が妥当であるといえるためには、直下地震の想定が妥当なものであること、活断層をもれなく把握していることと、耐震審査指針の採用する基準地震動の想定手法(いわゆる大崎の方法)が妥当性を有することが前提となるとしていた。
とりわけ、同判決は平成17年3月に発表された政府の地震調査委員会が、原発近傍の邑知潟断層帯で一連の断層が一体として活動してM7.6程度の地震が発生する可能性を指摘しているが、被告はこれを考慮していないとの原告の主張を全面的に認め、被告の断層の把握は不備であるとした。そして、「被告が基準地震動S2を定めるに当たって考慮した地震の選定は相当でなく,基準地震動S2の最大速度振幅は,過小に過ぎるのではないかとの強い疑いを払拭できない。」とした。(判例時報70頁)
また、これまでの原発耐震設計上の方法である「松田式,金井式及び大崎スペクトル並びにこれらを総合した大崎の方法は,経験的手法として相当の通用性を有し,原子力発電所の耐震設計において大きな役割を果たしてきたということができるが,地震学による地震のメカニズムの解明は,これらの手法が開発された当時から大きく進展していて,これらの手法の持つ限界も明らかになってきており,他方,これらの手法による予測を大幅に超える地震動を生じさせた地震が現に発生したのであるから,現時点においてはその妥当性を首肯し難い。そうすると,これらの手法に従って原子力発電所の耐震設計をしたからといって,その原子力発電所の耐震安全性が確保されているとはいい難いことになる。」(判例時報74頁)として、旧指針にもとづく安全審査を強く批判した。
そして、「本件原子炉施設の耐震設計については,その手法である大崎の方法の妥当性自体に疑問がある上,その前提となる基準地震動S2の設計用模擬地震波を作成するについて考慮すべき地震の選定にも疑問が残るから,本件原子炉敷地に,被告が想定した基準地震動S1,S2を超える地震動を生じさせる地震が発生する具体的可能性があるというべきであり,これに6で検討した結果を併せ考えると,原告らは,本件原子炉が運転されることによって,本件原子炉周辺住民が許容限度を超える放射線を被ばくする具体的可能性があることを相当程度立証したというべきである。」としたのである。
そして、結論として、「本件原子炉の耐震設計は,平成11年3月に原子力安全委員会の安全審査に合格した。しかしながら,前記第2の2 で述べたとおり,上記安全審査を経たからといって直ちに本件原子炉の安全設計に欠けるところがないとは即断できないところ,証拠(乙31)によれば,本件原子炉の安全審査は,耐震設計審査指針にしたがってなされたものであり,平成12年10月6日の鳥取県西部地震,その後公表された地震調査委員会による邑知潟断層帯に対する評価や平成17年宮城県沖地震によって女川原子力発電所敷地で測定された最大加速度振幅等の情報が前提とされていないことが認められるから,本件原子炉の耐震設計が上記安全審査に合格しているからといって,本件原子炉の耐震設計に妥当性に欠けるところがないとは即断できない。」「以上の被告の主張,立証を総合すると,原告らの立証に対する被告の反証は成功していないといわざるを得ない。よって,本件原子炉が運転されることによって,周辺住民が許容限度を超える放射線を被ばくする具体的危険が存在することを推認すべきことになる。」(判例時報76-77頁)として原告勝訴を導いたのである。
3 保安院文書の驚くべき内容
今回明らかとなった原子力安全・保安院名義の文書は「『発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針』改訂に向けて注意すべき点」と題するもので、このような北陸電力の敗訴による影響が全国の原発に広がることが問題とされていた時期にあたる2006年4月に原子力安全委員会に提出されたものである。文書は以下のURLで確認できる。
http://www.mizuhoto.org/policy/2012/05/post-5.html
東京新聞の18日付報道によれば、当時の訴訟担当課長が作り、上司には報告していなかったという。
文書は旧指針が原子炉等規制法の許可要件である「災害の防止上支障がない」という審査基準として不合理になったことを意味するものではないことを明示する必要があると原子力安全委員会に要求するものである。このような表明がないと、立地自治体やマスコミの批判が激しくなり、国会でも原発建設を認めた国の責任を追及されるなどとし、原発訴訟では「特段の立証活動なしには到底敗訴を免れない」としている。この文書が訴訟対策のために出されたものであることは明らかである。「原子力安全委員会の有識者は「たびたび証人として出廷を強いられる事態」も発生しうるなどと、原子力安全委員会の委員を威迫するような内容となっている。
4 2006年9月保安院の脅しに屈した原子力安全委員会
原子力安全委員会は同年9月19日に「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」(以下「新指針」という)を決定した。原子力安全委員会は同日付でその後に実施されることとなるバックチェックの法的な位置づけについて、「『耐震設計審査指針』の改訂を機に実施を要望する既設の発電用原子炉施設等に関する耐震安全性の確認について」と題する委員会決定を行った。
原子力安全委員会は、この中で、「行政庁においては、原子炉設置者等の原子力事業者に対し、改訂された「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」等の内容に照らして、既設の原子力施設の耐震安全性の評価の実施に関する要請(具体的な確認方法の内容、確認を完了する時期等を事業所毎に明示した実施計画書の作成を含む。)を行うとともに、実施計画書についてはとりまとめ次第速やかに、耐震安全性の具体的かつ詳細な評価結果については(その評価手法も含めて)その妥当性に関する確認を行ったうえで、当委員会に報告すること。」として、新指針に基づく各原発の安全性の確認を求めた。ところが、同じ文書の中で、「今般改訂等がなされた「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」をはじめとする原子力施設の耐震安全性に関する記述を含む安全審査指針類については、今後の安全審査等に用いることを第一義的な目的としており、指針類の改訂等がなされたからといって、既設の原子力施設の耐震設計方針に関する安全審査のやり直しを必要とするものでもなければ、個別の原子炉施設の設置許可又は各種の事業許可等を無効とするものでもない。すなわち、上述の既設の原子力施設に関する耐震安全性の確認は、あくまでも法令に基づく規制行為の外側で、原子炉設置者等の原子力事業者が自主的に実施すべき活動として位置づけられるべきであるものの、当委員会としては、既設の原子力施設の耐震安全性の一層の向上に資する観点から、行政庁による対応について、その着実な実施を特に求めるものである。」との見解を示した。原子力安全委員会は、結果として上記のような保安院からの脅しに屈し、自らの制定した新指針が既設の原子炉を拘束する規範であることを自ら否定してしまったのである。私たちは、当時このような保安院と原子力安全委員会の不徹底な立場を強く批判し、新指針に基づいて安全審査をやり直すべきことを求めてきた。
5 2007年10月浜岡原発訴訟原告敗訴判決を導いた原子力安全委員会見解
浜岡原発については、中部電力は耐震バックチェック報告書を保安院に提出しながら、安全判断がなされないまま、判決に至った。新指針に基づく安全性を国が明らかにすることができなかったのであるから、原告らは勝訴を確信していた。ところが、2007年10月26日に言い渡された静岡地裁判決(宮岡章裁判長宮岡章裁判長)は、判決で次のように述べた。「改訂指針は, 地震学上の新たな知見を踏まえ, さらなる耐震安全性の向上の見地から改訂指針の基準地震動Ssでの耐震安全性の確認を求めたものであって, 旧指針を原子炉施設の安全上不適切,不合理なものとして排斥しているわけではないから, 旧指針に基づいて従前行われてきた安全評価を否定するものではないことはもちろん, 策定された基準地震動Ssを用いた耐震安全性の確認がされていないことをもって直ちに耐震安全性が
確保されていないと結論づけるものでもないと認められる。」
まさに、浜岡原発訴訟の静岡地裁判決は、保安院が訴訟対策のために行った指示に従って出された原子力安全委員会決定を無批判に鵜呑みにした判決だったのである。
6 2009年3月国のバックチェックの判断に追随した志賀2号炉高裁判決
ところが、これに対して2009年3月18日に名古屋高裁金沢支部は、運転中止を命じた一審判決を取り消すとの判決を下した。この一審判決と高裁判決の間には前記の通り、新耐震設計審査が制定され、新指針に基づく耐震設計のバックチェックが実施され、国が同炉の耐震設計は安全であるという判断を示していた。
高裁判決は北陸電力の主張に沿って、新耐震設計審査指針の内容は合理的なものであり、震源を特定しない地震としてM6.8を想定することや近隣の活断層が同時に連動して活動することはないとした判断などはいずれも合理的であるとしている。原告らが指摘していた指針の問題点や断層の連動についての主張については、真摯な検討はなされていない。原告らは上告したが、最高裁は2009年3月31日内容に踏み込まず、原告らの上告を棄却した。この訴訟の後半では新耐震設計審査指針に基づく安全審査のやり直しの適否が大きな課題となったが、司法は最終的には国の安全判断に追随する判断をしたのである。
7 保安院によるストレステスト評価と関係大臣による再稼働の根拠は崩壊した
このような一連の経過は、福島原発事故を受けて停止している原子力発電所の再稼働について重大な警鐘を鳴らしている。
まず第1に、保安院と原子力安全委員会の対応は、新指針の意義の自己否定であり、独立した規制行政としてはあり得ない、非科学的なものであったといえる。このような不公正な規制行政を行ってきた保安院によるストレステスト評価にもとづく関係大臣の安全判断など信用することはできない。
保安院によるストレステスト評価と関係大臣による再稼働の根拠は根底から崩壊したといえる。
8 バックフィット制度の後退を許すな
新しい規制庁・規制委員会は保安院とは全く別個独立した、経済産業行政とは明確に分離されたものとする必要がある。そして、政府が進めていた原子力安全規制の下で導入されようとしていた既存の原発にも最新基準への適合を義務付けるバックフィットという考え方は、バックチェックの不徹底さの反省の上に考えられたものである。
日本は平成8年に原子力安全条約を批准している。この条約第14条1項は「原子力施設の建設前、試運転前及び供用期間中、安全に関する包括的かつ体系的な評価が実施されること。その評価は、十分に記録され、その後運転経験及び重要かつ新たな安全に関する情報に照らして更新され、並びに規制機間の権限の下で検討を受ける。」としている。バックフィット制度はこのような条約の要求にも合致し、保安院の不当な圧力によって法的に位置づけを不明確にされていたバックチェック制度に法的な裏付けを与えようとするもので、絶対に必要な制度である。
規制行政の独立性を確保するという観点からは、自民党案の提案する3条委員会による規制委員会を設置し、委員の身分を保障し、職権の独立性を強化する方向は正しい。しかし、与野党の協議の過程で、政府案には盛り込まれていた「バックフィット制度」と「原発寿命40年制」の規定が残されるかどうかがはっきりとしなくなっていることは問題である。
新指針に基づくバックチェック制度とこれに関する前述した原子力安全委員会見解が、旧指針による設置許可を無効としないという非徹底さを残していたことが、新指針による原発の耐震安全性の再審査を緊張感を欠いた不十分なものとし、浜岡原発訴訟における原告敗訴判決を導き、福島原発事故の一つの要因を作ったことを深刻に反省しなければならない。
このような轍を二度と踏まないためにも、新たな規制行政のあり方を決める法制において、バックフィット制度を確実な形で盛り込むべきである。