旧盆の8月15日。「警戒区域」が解除された楢葉町の父母、兄たちなど祖先の霊に墓参した。8月10日、楢葉町の警戒区域が立ち入り可能な「避難指示解除準備区域」になったため、1年6ヶ月ぶりの墓参りがやっと実現した。
先の一時帰宅で墓の状況を見てきた従兄弟の話では、「墓地の墓石は倒れめちゃくちゃな状態だが、佐藤家の墓は倒れていない」というものだったが、その通り、佐藤家の墓石は倒壊していなかった。
周辺の放射線量を測って掃除をした。
木の下は高い。
先祖供養に来た幼なじみや元町会議員にもお会いした。首都圏に避難したあと、今はいわき市で暮らしているとのこと。大変な1年有余であったと。取り返しのつかない原発事故の被害の様相がある。
しばらく、実家あとや常磐線竜田駅など町内を見て回った。
津波被害で流出した家屋、車両。叔母が津波で流された家。叔母は、原発事故による避難勧告で捜索もできず、2ヶ月後に発見された遺体もDNA鑑定での確認だった。
天神岬からの光景。山田浜の堤防は決壊し、前原から山田岡への美田は、茫々たる雑草におおわれていた。
まさに家屋も田園も荒れ果てていく。ウクライナでみた「廃村」につながる光景が広がっていた。ここに「帰町せよ」と誰がいうのか。