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「東北・蝦夷(えみし)の魂」

 事始めの2日、2013年3月に現代書館から刊行された高橋克彦著「東北・蝦夷(えみし)の魂」を読んだ。
 本の帯に「東北は古代から中央政権に蹂躙され続けた。阿弖流為(あてるい)対坂上田村麻呂、安倍貞任・藤原経清対源頼義、藤原泰衡対源頼朝、九戸政実対豊臣秀吉、奥羽越列藩同盟対明治新政府。5度の侵略戦に敗れ、奪われ続けた資源と労働力。そして残された放射能。しかしそれでも「和」の精神で立ち上がる東北人へ、直木賞作家からの魂のメッセージ。」
 「中央の権力が侵攻してくるのは、いつも大きな社会変動が起こっているときだ。 律令制度が再建され、京都に都を移そうとしていた平安の草創期にはあてるい阿弖流為が血祭りに上げられた。平泉の討伐は武家が公家に代わって政治の実権を担う過程で起きた。また、秀吉の全国統一の総仕上げとして、九戸政実は滅ぼされた。そして近代の幕開けとなった明治維新では、戊辰戦争という中央の侵攻によって東北はまたも戦火に見舞われた。」とあった。

 盛岡市に住む著者は、東日本大震災に遭遇し、同じ岩手に暮らす多くの人が苦しんでいると、喪に服する気持ちで1年間筆を執らず、インタビューをまとめる形で本書がなったという。

序幕  追われる人々   
第一幕 追われたのは出雲から
第二幕 失ったのは平和な楽園   
第三幕 失ったのは豊かな共同社会
第四幕 失ったのは豊かな資源   
第五幕 切り裂かれた心
第六幕 失ったのは誇り   
終幕  新しい世界を拓く東北の魂

少し紹介する。

 消された東北の歴史

 『阿弖流為(あてるい)の時代から調べていくと、東北そして岩手には語るべき歴史が沢山あると分かった。教科書が教える歴史は中央の権力が残した「正史」に依拠しており、それをもって日本全体の歴史としただけでしかない。
 例えば江戸時代の歴史年表はどうか。
 江戸時代は戦争がないから政治史となっている。老中がどんな政策を行なったかなど幕府を中心とした歴史で、南部藩がどうだったか、津軽藩がどうだったかはいっさい関係がない。
 平安時代は朝廷が中心で、鎌倉時代は源頼朝が樹立した鎌倉幕府のことだけ。それ以外の地域、ことに東北は完全に省かれてしまっている。各時代の中心を書き残すのが教科書の歴史で、そこから外れてしまうと何も記載されない。
 けれども歴史に記載されぬ東北で我々は生きていて、毎日ご飯を食べ、家族や友人と過ごしている。そうした事実など存在しないようにみなすのが歴史の主流ならば、私は存在しないとされた側の歴史を書こうと思った。
 東北だけではなく九州の片隅や四国の山の中など、記述されない歴史のほうがむしろ多い。歴史の教科書に書かれている部分こそ、むしろ特殊な歴史なのだ。
 東北の民は朝廷軍など中央の権力と何度も戦い、すべてに敗北した。負けた側は歴史を消されてしまう。勝った側は当然のように自分たちの正当性を主張する。自分たちは正義の戦いをした、抗った連中は野蛮で文化もなく殺したって構わない奴らだ、と決めつけたのだ。 
 東北は阿弖流為(あてるい)、前九年・後三年合戟、平泉滅亡、奥州仕置、戊辰戦争とたびたび大規模な戦に巻き込まれたため、歴史をズタズタに書き換えられ、棄てられてしまっている。それでも東北の人たちは逞しく生きてきた。その事実を子ども時代に知ることが、どれほど大切か。特に、中学・高校生の頃、故郷への思いやりや誇りを胸に刻み込んでほしい。それが必ず心の支えになっていく。』

 藤原清衡と浄土思想

 著者は、平泉のユネスコ世界文化遺産登録のいきさつにかかわって
 『東日本大震災が起きた時、被災地といわれる地域は、偶然にも福島、宮城、岩手など藤原清衡が支配した地、奥州藤原氏の文化圏だった。その被災地の人たちの、自分のことより他者の辛さを思いやる姿が、ニュースとして世界中に流れた。世界文化遺産の登録を申請していた平泉、藤原清衡がつくった国は、もともとこのような国だったのではないか、そのDNAが今に受け継がれているのではないか、そうユネスコに受け止められたことが、実は登録につながったのだと思う』。

 東北を攻める論理
 
 『東北は朝廷など中央政権に負け続けている。阿弖流為が坂上田村麻呂に、安陪貞任が源頼義に、平泉の藤原泰衡が源頼朝に、九戸政実が豊臣秀吉に、そして奥羽越列藩同盟は明治新政府により賊軍とされた』
 『東北が攻められた理由はいつも同じではない。その都度、東北は時代を切り換えていく大きなポイントになっていった。東北は施政者によって「産物」をどんどん替えられていった。近代は兵士の供給地になり、現代は電力の供給地とされた。中央にないものを東京に求める。あるいは東北に負担させるという構図だ。』

 土方歳三と戊辰戦争

 土方歳三が『江戸時代から撤退して会津若松に行った時、理不尽なことは決して許してはいけない、駄目なことは駄目なのだ、という会津人の徹底した考え方、そして個というものを消し去る生き方に触れた。「ならぬことはならぬものです」この会津の言葉は、阿弖流為や九戸政実らが、ずっと描いてきた思いでもある。彼らが中央の権力に対して立ち上がった理由こそ「ならぬことはならぬものです」だった。東北の人は何事に対しても最後の最後まで我慢するのだが、そこにも超えてはいけない「ならぬこと」がある。松平容保公の命を差し出せ、という薩長の主張がそれだった』

 東北のイメージをつくったのは誰か?

 『東北人の特質は「優しい」「辛抱強い」「無口」だと、東北以外の地域の人たちに言われ続けている。長い間、東北人の勤勉さ・生真面目さを理解してくれている言葉だと、私も思い込んできた。』『そもそも、この評価は吉原の遊郭の主人が言い出したことだった。いわゆる人買いや女衒に「優しい」「辛抱強い」「無口」を、遊女を探す時の条件にしたのだという。』『天明や天保の大飢饉で、口減らしのため百姓の娘が大勢売り飛ばされた。女衒が江戸の吉原に連れてきた娘の七割は、東北出身だったと言われている』とも。

 明日の世界に向けて

 『津波による被害だけでなく、放射能に汚染された地域について、真剣に考えていかねばいけない問題がたくさんある。
 東北の、蝦夷の魂=和の心で、これからの日本、世界の未来を拓いていくことができるのではないか。
 その道を拓く上で阿弖流為や安陪貞任、藤原泰衡や九戸政実の理不尽に抗う心が生きることを願っている』

 あとがき

 『ここにきて案じられることもある。
 東北人の立ち向かう強さが、後ろ向きの堪え忍ぶ強さの方に注がれつつあることだ。被災地の範囲があまりにも広大過ぎて二年が経ってもは復興はままならない。沿岸部の光景はあの日のままに時間が止められている。政治など当てにしないと書いた私だが、それにしても、と思う。東北人の耐える強さがその絶望をなんとか希望に繋げているだけなのだ。
 耐える強さが大切なのは、明るい未来があってこそのことである。
 今日からは前に進む強さに変えていかなくてはならない。
 明るい未来の設計図を頭に描いて、だ。』


【著者】高橋克彦(タカハシカツヒコ)
1947(昭和22)年、岩手県釜石市生まれ。早稲田大学商学部卒。1983(昭和58)年、『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。『総門谷』で吉川英治文学新人賞、『北斎殺人事件』で日本推理作家協会賞、『緋い記憶』で直木賞、『火怨』で吉川英治文学賞を受賞。『炎立つ』『時宗』はNHK大河ドラマ原作となった。平成14年、NHK放送文化賞と岩手日報文化賞を受賞。2011(平成23)年には、ミステリー文学の発展に著しく寄与した功績により、第十五回日本ミステリー文学大賞を受賞した。
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by kazu1206k | 2014-01-03 18:16 | 文化 | Comments(0)

佐藤かずよし


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