検察審査会の議決書2
2015年 08月 02日
2 津波,原子力発電所事故についての予見可能性
(1) 以上見てきた当時の知見を前提として,津波,原子力発電所の事故(以下「原発事故」という。)についての具体的な予見可能性について検討する。
(2) まず,推本の長期評価は,福島第一原発において想定される地震による津波水位を超えて津波が発生する可能性が一定程度あることを示してはいるものの,デー夕として用いることのできる過去の地震に関する資料が必ずしも十分にないこと等の限界があることから,専門家の間では意見が分かれていたことも事実である。
しかしながら,推本の長期評価は権威ある国の機関によって公表されたものであり,科学的根拠に基づくものであることは否定できない。加えて,これまでの我が国の地震による災害の歴史,殊に,平成7年1月に発生した阪神・淡路大震災の際は,かかる知見が十分に生かされなかったことが地震による被害を大きくしてしまったとされており,その反省に鑑みると,大規模地震の発生について推本の長期評価は一定程度の可能性を示していることは極めて重く,決して無視することができないと考える。
(3) もとより,自然災害はいつ,どこで,どのような規模で発生するかを確実に予測できるものではない。過去に発生した幾多の自然災害がそれを物語っており,災害の規模も実際には想定外のものが起きていることは我々自身が経験しているところである。
また,原発事故についていうならば,1986年(昭和61年)4月に発生した旧ソビエト連邦のチェルノブイリの原発事故の事例は大きな教訓とされなければならない。すなわち,原発事故は,ともすると放射性物質を大量に排出させ,その周辺地域を広範囲に汚染することで,多くの人々に多大なる被害を及ぼしてしまう。さらに,放射性物質が大気中に大量に排出されると,半径数十キロメートル以上の地域が放射能で汚染されてしまうことになり,そうなると長い期間そこには何人も出入りすることができなくなってしまう。加えて,放射能が人体に及ぼす多大なる悪影響は,人類の種の保存にも危険を及ぼす。
原発事故は,ひとたび発生してしまうと事故が発生する以前の状態を取り戻すことが非常に困難で,取り返しのつかない極めて重大な事故であることから,過酷事故とも言われている。
(4) このような原発事故の恐ろしさは,我が国でも認識されるところとなっている。
伊方原発訴訟最高裁判決(最判平成4年10月29日)では,原子炉設置許可の基準の趣旨について,「原子炉が原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料として使用する装置であり,その稼働により,内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって,・・・(中略)・・・原子炉施設の安全性が確保されないときは,当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命,身体に重大な危害を及ぼし,周辺の環境を放射能によって汚染するなど,深刻な災害を引き起こすおそれがあることに鑑み,右災害が万がーにも起こらないようにするため」であると判示されている。
また,前記のとおり,平成18年9月19日,安全委員会が旧指針を改定して策定された新指針では,津波について,原子力発電所の設計においては,「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても,施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」とまで明記されるようになった。
これらに共通して言えるのは,原発事故が深刻な重大事故,過酷事故に発展する危険性があることに鑑み,その設計においては,当初の想定を大きく上回る災害が発生する可能性があることまで考えて,「万がーにも」,「まれではあるが」津波,災害が発生する場合までを考慮して,備えておかなければならないということである。
このことは原子力発電に関わる責任ある地位にある者にとっては,重要な責務といわなければならない。
(5) さらに,原子力発電所の浸水事故が電源喪失という事態を招く危険性があることは,前記のフランスのルブレイエ原子力発電所の事故,スマトラ島沖地震の津波によるマドラス原子力発電所の事故という海外の事例に加え,東京電力自体が,平成3年10月の福島第一原発1号機の海水漏えい事故,平成19年7月の新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発での原子炉建屋での事故をもって経験している。
そして,平成18年1月より継続的に開催された溢水勉強会では,その第3回において,原子力発電所の想定津披水位を超える津波が襲来した場合,ついには全電源喪失という最も危険な状態に至る可能性があることが示された。原子力発電所に事故が発生した場合,原子力発電所を「止める,冷やす,閉じ込める」ことは原発事故を食い止めるための基本であり,そのためには電源喪失という事態を絶対に招いてはならない。電源喪失は,原子力発電所の炉心損傷,建屋の爆発等を経て,ついには放射性物質の大量排出という重大で過酷な原発事故を招く危険性がある。
(6) 以上よりすれば,推本の長期評価の信頼度がどうであれ,それが科学的知見に基づいて,大規模な津波地震が発生する一定程度の可能性があることを示している以上,それを考慮しなければならないことはもとより当然のことというべきである。東電設計の算出した,福島第一原発の敷地南側のO.P.+15.7メートルという津波の試算結果は,原子力発電に関わる者としては絶対に無視することができないものというべきである。そもそもこの試算結果は,推本の長期評価に基づいており,少なくとも福島第一原発の建屋が設置された10m盤を超えて浸水する巨大な津波が発生する可能性が一定程度あることを示している。そして,東京電力自体が過去に2回の浸水,水没事故を起こしており,土木調査グループの者らが参加していた溢水勉強会を通じて,福島第一原発の10m盤を大きく超える巨大津波が発生すると,浸水事故を発生させ,全電源喪失,炉心損傷,建屋の爆発等を経て,放射性物質の大量排出という事態を招く可能性があることも示している。
したがって,当時の東京電力において,推本の長期評価,東電設計の試算結果を認識する者にとっては,津波地震が発生し,福島第一原発の10m盤を大きく超える巨大な津波が発生することについては具体的な予見可能性があったというべきであり,それが最悪の場合,浸水事故による炉心損傷等を経て,放射性物質の大量排出を招く重大で過酷な事故につながることについても具体的な予見可能性があったというべきである。
(7) この点,検察官は,推本の長期評価の信頼度等によれば,当時,福島第一原発の10m盤を大きく超えるような巨大津波が発生すると予見する者はなく,「行為者と同じ立場に置かれた一般通常人」を基準に考えると具体的な予見可能性を認めることができないと考えているようである。
しかしながら,ここでいう「行為者と同じ立場に置かれた一般通常人」とは,本件に関していえば,原子力発電所の安全対策に関わる者一般を指していることになる。すなわち,原子力発電という非常に危険性の高い,極めて特殊な技術に関わる,高度な知識を有する者たち一般を意味していると考えられる。前記のとおり,原子力発電に関わる責任ある地位にある者であれば,一般的には,万がーにも重大で過酷な原発事故を発生させてはならず,本件事故当時においても,重大事故を発生させる可能性のある津波が「万が一」にも,「まれではあるが」発生する場合があるということまで考慮、して,備えておかなければならない高度な注意義務を負っていたというべきである。当時の東京電力は,原子力発電所の安全対策よりもコストを優先する判断を行っていた感が否めないが,ここでの原子力発電に関わる責任ある地位にある者のあるべき姿勢としては,コストよりも安全対策を第ーとする考え方に基づくべきである。したがって,ここでの「行為者と同じ立場に置かれた一般通常人」というのも,コストよりも安全対策を第一とする,あるべき姿に基づいて判断すべきものであり,当時の東京電力の考え方自体を一般化するべきではない。
(8) また,検察官は,本件地震は,推本の長期評価をも上回る想定外のものであり,ここまでの津波について具体的な予見可能性はなかったのではないかと考えているようである。
しかしながら,過失を認定するための結果の予見可能性とは,当該予見に基づいて結果回避のための対策を講じる動機付けとなるものであれば足りると考える。ここでは,少なくとも10m盤を大きく超える,当時の状況においては何らかの津波対策を講じる必要のあるような津波の発生についての予見可能性があればよいと考える。
3 被疑者らの予見可能性
(1) 被疑者勝俣恒久(以下「被疑者勝俣」という。)は,平成14年10月から東京電力の代表取締役社長として,平成20年7月からは東京電力の代表取締役会長として,同社の経営における最高責任者としての様々な重要な経営判断を行ってきた。
被疑者武黒一郎(以下「被疑者武黒」という。)は,平成17年6月から東京電力の常務取締役原子力・立地本部長として,平成19年6月からは東京電力の代表取締役副社長原子力・立地本部長として,同社の原子力担当の責任者として原子力発電所に関する知識,情報を基に実質的経営判断を行ってきた。
被疑者武藤は,平成17年6月から東京電力の執行役原子力・立地本部副本部長として,平成20年6月からは東京電力の常務取締役原子力・立地本部副本部長として,平成22年6月からは東京電力の取締役副社長原子力・立地本部長として同社の原子力担当の責任者として原子力発電所に関する知識,情報を基に技術的事項に関して実質的判断を行ってきた。
被疑者ら3名は,いずれも福島第一原発の運転停止又は設備改善等による各種安全対策に関する実質的判断を行う権限を有しており,福島第一原発の地震,津波による原子力発電所の重大事故の発生を未然に防止すべき業務に従事してきたものである。
(2) 前記のとおり,東京電力では,平成21年6月には耐震バックチェックの最終報告を行い,それを終了させる予定であったところ,平成19年11月ころ,土木調査グループにおいて,耐震バックチェックの最終報告における津波評価につき,推本の長期評価の取扱いに関する検討を開始し,関係者の間では,少なくとも平成19年12月には,耐震バックチェックにおいて,長期評価を取り込む方針が決定されていた。
また,平成20年2月16日に実施された地震対応打合せでは,被疑者らに,東電設計のO.P.+7.7メートル以上に上昇する可能性があるという試算結果が報告され,それに関する資料も配付されていた。この打合せには,被疑者ら3名が出席していたことは前記のとおりである。
(3) その後,平成20年3月18日には,東電設計から,推本の長期評価を用いた最大値O.P.+15.7メートルの試算結果が出されたが,その後も被疑者らの出席する地震対応打合せは回を重ねて実施されていることからすれば,被疑者ら3名は,平成20年3月18日以降のいずれかの時点において,推本の長期評価とそれに基づく試算結果について報告を受けていることが強く推認される。
特に,被疑者武藤は,平成20年6月には,この報告を受けていることは前記のとおりであり,被疑者武藤はこれを認める供述をしている。
被疑者武黒についても,平成20年6月に被疑者武藤が報告を受けていることからすれば,それと近い時期には同様の情報を認識するようになったと考えられるが(被疑者武藤は平成20年8月に被疑者武黒に報告した旨供述している。),被疑者武黒は,平成21年4月か5月にはこの事実について報告を受けた旨供述している。
被疑者勝俣については,出席したことが間違いない平成20年2月16日の地震対応打合せでも推本の長期評価に基づくO.P.+7.7メートルの試算結果の報告を受けた記憶がないと供述し,その後においても推本の長期評価を用いた最大値O.P.+15.7メートルの試算結果については報告を受けていない旨供述する。しかし,この地震対応打合せは,被疑者勝俣への説明を行う「御前会議」とも言われており,被疑者勝俣は,地震対応打合せについて出席できなかったときも資料には目を通していた旨供述している。そうすると,前記のとおり,推本の長期評価,それに基づく最大値O.P.+15.7メートルの試算結果いずれについてもどこかの時点で報告を受けているはずである。また,推本の長期評価に基づく試算結果によれば,浸水を避けるための津波対策を講じる必要があり,それには少なくとも数百億円以上の規模の費用がかかる可能性があり,最高責任者である被疑者勝俣に説明しないことは考えられない。さらに,平成21年6月開催の株主総会の資料には,前記のとおり,「巨大津波に関する新知見」が記載され,「参考」として,推本の長期評価のことや津波により浸水し,非常用海水ポンプが水没する事故が発生する可能性があることが記されていることからすれば,被疑者勝俣は,少なくとも平成21年6月までには推本の長期評価,それに基づく最大値O.P.+15.7メートルの試算結果について報告を受けていることが十分に推認される。
(4) 被疑者ら3名は,いずれも福島第一原発において,原子力発電所の安全対策に関わる高度な知識を有する者として,福島第一原発に対する津波による事故が「万がーにも」「まれではあるが」発生した場合にも備えておかなければならない責務を有している。そうすると,前記の報告を踏まえ,10m盤を大きく超える津波が「万がーにも」,「まれではあるが」発生することについて具体的な予見可能性があり,その場合には,最悪の場合,浸水による電源喪失,炉心損傷等を経て,放射性物質を大量に排出してしまう重大事故,過酷事故が発生することについて具体的な予見可能性があったというべきである。
*以下、3回目に続く。
