人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「七本松を蘇らせる事業」お披露目式

 12月15日午前、鹿島公民館敷地内で開催された「七本松を蘇らせる事業」お披露目式に出席しました。 
 戊辰戦争から150年の今年、その記念事業として、薩摩兵を軸とする新政府軍と平藩、仙台藩兵を軸とする奥羽越列藩同盟軍が鹿島町走熊の七本松付近で激戦を繰り広げた激戦地「史蹟七本松」を後世に伝えていくための「七本松を蘇らせる事業」です。その概要は、松の補植、案内板の設置、石碑建立、囲み柵の設置など4事業。鹿島地区地域振興協議会が鹿島公民館と協力して、鹿島町内の各区、個人、企業、サークルに呼びかけ浄財を集めて実現しました。
 七本松の由来は、征夷大将軍の坂上田村麻呂が植えたのが最初とされ、田村麻呂は近くの延喜式内神社「鹿島神社」に鏃を献上したとされます。戊辰戦争時の巨松・七本松は、昭和12年に倒木したため、当時の志賀直哉鹿島村村長がその松を輪切りにして「一円融合」と刻み鹿島神社に奉納し、世継ぎの松を植えました。その松も、昭和50年に県道常磐・江名港線が、戊辰戦争時に砲台があった円山をきり通し史蹟の中央を通り整備されたため、七本松は丸山の麓(現在の鹿島公民館の敷地内)に移動されたものです。この松も松枯れで1本かけるなど年を重ねてきました。
 お披露目式は、七本松前で除幕式を行なった後、鹿島公民館大講堂で式を行い、地域振興協議会の石井会長のご挨拶、担当の歴史と文化委員会の坂田委員長からの事業内容の説明、ご寄附代表者の中山元二さんのご挨拶、来賓として私もご挨拶させて頂きました。「七本松と鹿島」と題して、文藝風舎の箱崎さんが記念講演を行い、松の植樹の由来、戊辰戦争の概要、県道拡張による鹿島公民館敷地内への移転植樹の経緯などが詳しく紹介されました。
 鹿島小学校の校歌にも「清らかな御代の大仏 なかよしな七本松」と歌われ親しまれてきた、史蹟七本松を後世に伝えていくため、地域の大切な取り組みとなりました。

「七本松を蘇らせる事業」お披露目式_e0068696_8404942.jpg

「七本松を蘇らせる事業」お披露目式_e0068696_84125.jpg

「七本松を蘇らせる事業」お披露目式_e0068696_841162.jpg





 
by kazu1206k | 2018-12-15 22:53 | 地域 | Comments(0)

佐藤かずよし


by kazu1206k