人気ブログランキング | 話題のタグを見る

月刊りいーど3月号に「東電刑事裁判」寄稿

いわきのシティマガジン、月刊りいーど3月号に「東電福島原発事故、勝俣元会長らに5年の禁錮を求刑」を特別寄稿させていただきました。以下に、ご紹介いたします。

東電福島原発事故、勝俣元会長らに5年の禁錮を求刑!

”深刻な被害を出さぬよう”

 東日本大震災、福島第一原子力発電所事故から8年になろうとしています。
 東京電力福島第一原発事故の責任を問い、業務上過失致死傷罪で強制起訴された勝俣恒久元会長・武藤栄元副社長・武黒一郎元副社長ら旧経営陣3被告に対し、昨年12月末、検察官役の指定弁護士は、論告求刑で業務上過失致死傷罪の法定刑として上限の禁錮5年を求刑しました。
 被害者参加人代理人による意見陳述も行われ、計36回の公判期日を終え、残すは本年3月の被告人側の弁論、夏頃まで予定される判決を残すのみとなりました。
 これまで、争点の地震津波の予見可能性と結果回避可能性を巡り、証人尋問、被告人質問、被害者遺族の意見陳述が行われました。
 被告らは、昨年10月の被告人質問で「事故により、ご迷惑をかけたことをお詫びします」と、遺族や福島からの傍聴者に尻を向け、陳謝。しかし、「記憶にない」「メールはない」「認識もない」「指示はしていない」「権限はない」と、これまで法廷で立証されてきた事実や動かぬ証拠まで否定して、自己保身と組織防衛のために、最悪の責任逃れに終始しました。
 特に、裁判所に証拠採用された、2008年当時、地震津波対策の事実上のトップ、新潟県中越沖地震対策センター長であった山下和彦氏の検察官面前調書を否定しようとしました。

 津波は予見された

 調書は、東電「部内で耐震バックチェックに(文部科学省地震調査研究推進本部の)長期評価の取り入れを決定。武黒・武藤に伝えられ、平成20年(2008年)2月26日に勝俣・清水に中越沖地震対応打合せ=御前会議で報告した。勝俣からも清水からも反対はなく、耐震バックチェックについての原子力設備管理部の方針は了承された」
  「平成20年3月11日の第2453常務会で吉田昌郎氏が報告して承認」という、東電の地震津波対策の決定への被告らの関与を具体的に示す「不都合な真実」だったからです。
 勝俣被告は「原子力安全を担うのは原子力・立地本部。責任も一義的にそこにある」と責任転嫁したものの、立証されてきた事実、津波は予見され、事故は回避できたという真実を隠すことはできませんでした。
 12月末の論告求刑の冒頭、指定弁護士は、被告人質問での3被告の謝罪について「とても虚しい気持ちで眺めていたのは、我々だけではないと思います」として、「自らの事故の責任を否定し、他者にその責任を転嫁しようとする供述ばかりで」「原子力発電所の運転・安全保全業務をその重要な責務とする原子力事業者の最高経営層に属するものの態度としては、到底考えられないもの」と強く批判しました。
 そして、原子力発電所は、「極めて重大な潜在的危険性を内包し、一度事故が起きれば取り返しのつかない結果を引き起こし、永遠に故郷を奪い、多くの人々を生命の危険に曝し、おびただしい損害を与える」「万が一にも、このような重大事故を引き起こすことがあってはならない」として、「被告人らに『できないことをやるべきだった』と言っているのではなく『できることがあったのに、それをしなかった』」「被告人らには、当然でき、なすべきことであったのに、何もしなかったのではないか、何もしないで、漫然と福島第一原子力発電所の運転を継続することにより、本件事故を引き起こし、多くの人々を死に至らしめ、負傷させ、そして、これに関係する人々にも塗炭の苦しみを強いることになったのではないか」としたのです。

汚染と地域の崩壊

 検察審査会の判断は、「極めて常識的で正鵠を得たもの」とし、東京地検の「当初の不起訴の判断は全くの誤りであった」と指摘しました。
 そして、「東京電力から押収された多くの資料、会議録、メールなどを時系列的におっていくと、被告人らが、巨大津波の襲来を予見できる様々な機会を持ちながら、これをないがしろにし、もっともらしい理由をつけて、防護措置をとることを引き伸ばし、怠っていたことが、浮かび上がってきました」として、被告人らの過失責任を問うための一つのキーワードが、「情報収集義務」としました。
 それは、原子力発電所に存在する潜在的、抽象的危険性に関する危惧ではなく、「一定の重要かつ具体的な情報に接し、あるいは接する機会があったことを契機として、東京電力の最高経営層に課せられる具体的義務があり、これを怠ったとして、その刑事責任の存在を指摘」したものです。
 その「具体的情報の典型が、『O.P.+15.707m』という情報であり、『中越沖地震対応打ち合わせ』つまり『御前会議』の席上に提供された様々な客観的情報」であるとしました。
 「これらの情報を契機として、被告人らが他者に物事を委ねることなく、自らその権限と責任において、積極的に情報を取得し、これらの情報に基づいて的確かつ具体的な対策を提起し、これを実行に移してさえいれば、本件のような世界に例をみない悲惨な重大事故を防ぐことができたのです」と結論づけました。
 被告人ら3人の犯情は、結果の大きさ、被告人の地位・立場・権限の大きさ、注意義務懈怠の大きさの3つの要素がいずれも極めて大きく、業務上過失致死傷罪の中でも、極めて重いとしました。
 その上で、45名死亡22名負傷の川治プリンスホテル事件が禁固2年6月の実刑、32名死亡24名負傷のホテル・ニュージャパン事件が禁固3年の実刑だったことを挙げ、被告人らは「なんらの反省の態度も示していません」「被告人らに有利に斟酌する事情は何ひとつないのです」として、業務上過失致死傷罪の禁固刑としては法定刑の上限の5年の実刑を求めました。
 裁判は、双葉病院から避難中に亡くなった44人の方々や爆発で負傷した消防隊員らが被害者とされていますが、福島第一原発事故は取り返しのつかない環境汚染と地域社会の崩壊をもたらしました。
 このような深刻な被害を二度と出さないよう、被告人らの責任を明らかにし、責任を償わせる厳正な判決を下すよう裁判所に願うものです。

  福島原発刑事訴訟支援団 佐藤和良

月刊りいーど3月号に「東電刑事裁判」寄稿_e0068696_2373751.jpg

by kazu1206k | 2019-03-10 22:47 | 脱原発 | Comments(0)

佐藤かずよし


by kazu1206k