5月19日に福島第一原発過労死責任を追及する会
2019年 05月 14日
これに対し、猪狩さんのご遺族は、安全配慮義務違反等を理由に、指揮命令等を行なっていた雇用元(いわきオール株式会社)・元請け(株式会社宇徳)に対する責任追及と、高濃度の放射性物質が飛散する敷地内における救急医療体制に責任を負う東京電力の責任を追及して、2019年2月13日に福島地方裁判所いわき支部に損害賠償請求の訴訟を提起。3月25日に、福島地裁いわき支部で第一回の口頭弁論が行われ、猪狩さんの遺族が意見陳述、原告側代理人が意見書を提出しました。
原告側代理人の意見書は、裁判所に対し、下記の3つの請求権の存否の判断を求めました。
1.安全配慮義務に違反して猪狩さんを死に至らしめ、損害を生じさせたことの被害回復を求める請求。
2.東京電力と元方事業者の救急医療体制の不備によって適切な医療を受けられなかった故猪狩さんの損害を請求。
3.不誠実な東京電力の対応によって遺族が蒙った精神的苦痛への慰謝料請求。
このような中で、5月19日14時より、いわき市労働福祉会館で、ご遺族(原告)を支援する「福島第一原発過労死責任を追及する会」の結成が準備されています。
猪狩さんは、亡くなる5年前の2012年3月にいわき市内の自動車整備・レンタル企業に入社した時から、車両整備にあたり、亡くなった当日、昼休みの後、午後の作業に行く時に倒れ、午後2時半過ぎに広野町の高野病院で死亡を確認、死因は致死性不整脈と診断されました。
猪狩さんは、2017年4月以降、月曜から金曜、朝4時半に出勤し一般道を自動車で福島第一原発に移動、事務所に戻るのが夕方5時から6時という生活が続きました。遺族らは、亡くなる直前の3か月間の平均残業時間は約105時間。亡くなる半年前からの1か月あたりの残業時間は最大で130時間超、平均で110時間に達していたとして18年3月にいわき労基署に労災申請しました。
厚労省は、労災認定基準について「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる」としていることから、いわき労基署が認定基準を満たしていると判断しました。です。
遺族は、「命がけで福島第1原発で働いていた主人が虫けらのような扱いをされた。主人の気持ちを思うと残念でなりません。これ以上、主人のような人が出てほしくありません。多くの人に原発の状況を知ってもらいたいと思っています」と語っています。
東京電力は、2014年6月に、構内に車両整備場を設置。猪狩さんは、車両整備場の設置と同時に派遣され、元請けは当初は東電リース、2016年から宇徳になっています。2015年5月、東京電力は、2015年度車両整備場で整備士5人/日の体制で実施可能台数合計488台を整備する計画でしたが、「全ての構内専用車両(普通車:541台,大型車:250台合計791台)を整備するには、プラス3~5人/日が必要」とし「今後、構内で車両整備する整備士の確保が課題となってくる」としていました。
その後、4名体制(工場長+整備士3名)となり、整備士の数は減ってしまい、作業はさらに厳しくなる一方で、2017年1月に貴社は、構内専用の全車両を、それまでの12か月点検に加えて24か月点検を実施し、2018年9月までに小型620台、大型189台の計809台全車両の点検を完了するという目標を発表。2017年5月には、車両整備場の稼働日数が1日増えて週5日になり、整備士の数が減ったまま、作業量を増やしてきたのが実態です。
福島第一原発の車両整備は、車両の放射能汚染が激しいため、作業は全面マスク、防護服の上にカバーオールを着て行い、通常の整備作業をはるかに超える大きな負担になっていました。こうした厳しい作業環境が体調にどのような影響を及ぼしたのか、長時間労働が身体に大きなストレスを与えたことが推察されます。
