3月30日午後2時過ぎ、福島地方裁判所いわき支部で、2017年10月に、福島第一原発構内で働いていた自動車整備士・猪狩忠昭さんが長時間労働で過労死した事件の損害賠償請求訴訟の判決公判が開かれました。
遺族原告は、安全配慮義務違反等を理由に、雇用元(いわきオール株式会社)・元請け(株式会社宇徳)の責任と、高濃度の放射性物質が飛散する敷地内における救急医療体制に責任を負う東京電力の責任を追及してきました。
しかし、判決は一部勝訴。雇用元のいわきオールの長時間労働による安全配慮義務違反についての損害賠償金2400万円あまりの賠償を認めましたが、元請けの宇徳への請求は棄却。福島第一原発内ER(救急医療)で治療の遅れがあったこによる、東京電力及び宇徳への損害賠償も棄却。過労死当日、東京電力が記者会見で「作業との因果関係はない」と責任回避の発言は、受忍限度内とし請求棄却というもの。発注者の東京電力及び元請けの宇徳への責任は認めず、多重下請け構造の改善に迫らぬ判決で、遺族原告にとって認め難い内容となりました。
裁判後の記者会見で、猪狩さんのご遺族原告は「原発関連の労働者の労働環境が少しでも改善され、夫のような犠牲者が出ることがないよう願いながら裁判に臨んできたので、請求が一部棄却されたことは納得いきません」「犠牲になるのは作業員で、責任を取るのは下請けでいいのか。棄却は納得いかない」と話していました。
夜の裁判報告会では、猪狩さんのご遺族原告はじめ、弁護団の霜越弁護士、齋藤弁護士、支援者も次々と発言。ご遺族原告のこれまでのご労苦にお思いを致し、闘いの経緯と到達点を確認しながら、多重下請け構造のもとでの労働者の被曝労働の実態改善と人権を守るために、発注者の東京電力及び元請けの宇徳への責任を追求し、ご遺族原告への支援の継続を誓い合いました。
東京電力福島第一原子力発電所の事故収束作業で構内自動車整備をしていた自動車整備士・猪狩忠昭さんは、2017年10月26日に亡くなりました。東京電力は猪狩さんの死亡を発表した際、「作業との因果関係はない」と責任回避の発言に終始。
猪狩さんは、亡くなる5年前の2012年3月にいわき市内の自動車整備・レンタル企業の雇用元に入社した時から、車両整備にあたり、亡くなった当日、昼休みの後、午後の作業に行く時に倒れ、午後2時半過ぎに広野町の高野病院で死亡を確認、死因は致死性不整脈と診断されました。
猪狩さんは、2017年4月以降、月曜から金曜、朝4時半に出勤し一般道を自動車で福島第一原発に移動、事務所に戻るのが夕方5時から6時という生活が続きました。遺族らは、亡くなる直前の3か月間の平均残業時間は約105時間。亡くなる半年前からの1か月あたりの残業時間は最大で130時間超、平均で110時間に達していたとして18年3月にいわき労基署に労災申請し、いわき労働基準監督署が2018年10月17日に労災認定しました。
東京電力は、2014年6月に、構内に車両整備場を設置。猪狩さんは、車両整備場の設置と同時に派遣され、元請けは当初は東電リース、2016年から宇徳になっています。2015年5月、東京電力は、2015年度車両整備場で整備士5人/日の体制で実施可能台数合計488台を整備する計画でしたが、「全ての構内専用車両(普通車:541台,大型車:250台合計791台)を整備するには、プラス3~5人/日が必要」とし「今後、構内で車両整備する整備士の確保が課題となってくる」としていました。
その後、4名体制(工場長+整備士3名)となり、整備士の数は減ってしまい、作業はさらに厳しくなる一方で、2017年1月に東京電力は、構内専用の全車両を、それまでの12か月点検に加えて24か月点検を実施し、2018年9月までに小型620台、大型189台の計809台全車両の点検を完了するという目標を発表。2017年5月には、車両整備場の稼働日数が1日増えて週5日になり、整備士の数が減ったまま、作業量を増やしてきたのが実態です。
福島第一原発の車両整備は、車両の放射能汚染が激しいため、作業は全面マスク、防護服の上にカバーオールを着て行い、通常の整備作業をはるかに超える大きな負担になっていました。こうした厳しい作業環境が体調にどのような影響を及ぼしたのか、長時間労働が身体に大きなストレスを与えたことが推察されます。
防護服・全面マスクのまま倒れ、帰らぬ人となった猪狩さん。倒れたときに放置同然で、その後の遺族への説明も東電は拒否。遺族は「二度と過労死、事故死を起こさないためにも、真実を知り、責任の所在を明らかにしたい」と裁判を提起。猪狩さんの遺族は、「夫が『なぜ死ななければならなかったのか』を調べていくうちに、『虫けらのように、物のように扱われている原発で働く作業員』の実態が明らかになり、夫の死をきっかけに『真実を知りたい、家族は知る権利がある、二度と再び起こしたくない』という一心で裁判に訴えた」と胸の内を語ってきました。