豪雨水害、住民ショックー鹿島久保3丁目で床上浸水
2006年 06月 18日
15日から降り続いた雨は、16日朝から大雨となった。
梅雨豪雨による鹿島町の被害は、久保3丁目で床上浸水11棟・同世帯、床下浸水が50棟・同世帯をこえ、下蔵持で自宅の裏山がくずれ1世帯が自主避難、鹿島台団地や船戸でも道路脇の崖崩れが相次いだ。
16日は9時頃、いわきニュータウンからの雨水を谷田川におとす走熊川が氾濫するまであと1mもない状態。
10時の議会文教水道常任委員会の開会前に、消防防災課と河川課に連絡するが、まだ水防本部は立ち上がっておらず、待機状態。
正午過ぎ委員会の休憩時に、鹿島町久保の県道平・小名浜線(通称・鹿島街道)の走熊—柿境交差点間で道路が冠水、通行止めの連絡。久保の自宅に電話すると「自宅前の市道が既に川の状態」との話。
委員会終了後、午後3時頃に久保3丁目の水害現場に到着。消防団第4分団の団員がずぶ濡れで奮闘している。水は引いたが周囲は泥だらけ、民家の壁や塀に水位のあとがくっきり。被災住民に皆さんの話を聞いてまわる。
床上浸水の被災者「10時すぎに船戸川が溢れ、あっというまに水がきた」
「畳を上げるのが精一杯だった」「腰まで水につかった」
「ごみなどのあと片付けに市も協力してほしい」
床下浸水でも「玄関まで水につかった」「わたし一人しかいなくてどうすることもできず、涙が出てきた」「大事に乗っていた新車が水没してしまった」
昭和61年の「8.4水害」以来の大冠水、しかも床上浸水は初めてで、住民は皆ショックを受けている。
久保・船戸地区には、矢田川の計画高水位より低い地域があり、たびたび水害の被害にあってきた。このため、平成2年より御代ポンプ場設置などによる雨水排水対策がとられ、久保・船戸地内の下水道の雨水幹線や久保水門が整備されてきた経過がある。
しかし、昨年5月に開催された市の雨水排水に関する説明会では、市民から「これらの対策で大丈夫なのか」と不安の声が出され、「矢田川の浚渫を早くやって欲しい」「昭和61年から要望している船戸川ポンプ場建設を早くやって欲しい」という要望が出ていた。
16日5時近く、早速、小名浜支所を訪ね住民の要望を伝えた。あわせて、現地調査の実施と原因の究明、雨水排水対策の抜本的見直しを担当課長はじめ支所長に要望した。