戦争と向き合う八月
2006年 08月 01日
61回目の原爆忌、終戦の日がめぐってくる。
旧のお盆、慰霊の月でもある。
小泉首相の8月15日靖国神社参拝が取りざたされている。
A級戦犯の合祀によって参拝を取りやめた昭和天皇の発言が「富田メモ」という形で公表された。
8月は、日中15年戦争、太平洋戦争と過去のアジア侵略戦争の歴史と向きあい、同時に現在の日本の排外主義的な政治状況と大衆心理とも向き合う、平和のためのときだ。
7月、危機に喘ぐ北朝鮮の金正日独裁体制が、ミサイル発射という絶望的な賭けに出た。
それに対する日本政府の対応は、排外主義を煽り立てた「制裁措置」と戦争挑発の「先制攻撃」体制づくり。
先制攻撃論を公言し憲法9条を否定するかのごとき現職国務大臣の発言は、憲法99条の公務員の憲法尊重擁護の義務規定に明確に違反する。それが白昼堂々まかり通っている現実は、新たなる戦前の状況を呈している。
政府自らが海外派兵を強行し、戦後60年守ってきた憲法の平和主義を突破しようとしている。
アメリカと一体となって技術的にも未熟なミサイル防衛網に膨大な血税を注ぎ込む軍備拡大路線。
アメリカ国債を買い続けアメリカ経済を支えてきた政府は、さらに3兆円もの国民の血税を米軍再編の為に支出するという。
過去のアジア侵略戦争と植民地主義の歴史と向きあった時、日本の進むべき道が果たしてこれでいいのか。
東アジアの平和を作り出すために平和外交の推進こそ必要な時ではないか。
アメリカ政府の対日年次要望書の通りに日本の構造改革・規制改革を進めてきた小泉改革は、軍事費拡大の一方で社会保障費を削減し続け、不公平税制によって富める者のみを豊かにし、圧倒的多数の国民が日々の暮らしの負担増に呻吟する「格差社会」を一層進行させた。
格差社会では、道徳的規範が崩壊して犯罪が横行し、強権的リーダーシップを求める大衆心理がマスコミによって醸成されている。
熱し易い国民感情のもとで、改憲を公約にかかげた安倍政権が誕生しょうとしている。
東アジアの平和のために、いま何が必要なのか。
冷静に考えるときだ。
まず、小泉首相は8月15日の靖国神社参拝をやめるべきである。