故小野庸夫さんへの弔辞
2008年 05月 25日
小野庸夫さんには、佐藤かずよし後援会事務局長をつとめていただいておりました。9日の事務局会議では、元気に会議を進めておられました。
13日未明、共立病院に緊急入院し、集中治療室で治療ををうけていましたが、20日午後、逝去されました。
9日夜、「じゃあ、また」と仰ってお別れしたのが、小野さんとの今生の別れとなりました。
誠に痛恨の極み、残念至極です。
24日、告別式で弔辞を朗読させていただきました。
涙で文字が見えず幾度も詰まりながら、最後の別れの言葉を捧げました。
小野さんは、ご家族はじめ多くの友人に送られ、旅立っていきました。
合掌。
弔辞
小野さん、いま、あなたの御霊に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。
小野さん、本当に急な旅立ちでした。未だに信じられず、痛恨の極みです。
瞼を閉じれば、いまも小野さんの優しい笑顔が浮かび、明るい笑い声が聞こえてきます。
小野さんが、鹿島町に居を移して20年。いわきさくらんぼ保育園が私の自宅近くにでき、子どもたちの元気な姿とともに、小野さんご夫妻を知ることになりました。
小野さんが下蔵持区の区長になった頃、携帯基地局の鉄塔問題が持ち上がり、私も久保1区の区長として、一緒に悩みました。
署名運動や市長への陳情、仙台の東北通信局への訴え、裁判所での調停。そして、小野さんが発案した地域交流の「鉄塔祭り」。
そのひとつひとつに、「電磁波は子どもたちに良くない」と、住民を励まし、周囲に配慮しながら、粘り強く運動を進める、小野さんの姿がありました。
住民の心と心をつなぎ、地域の暖かい支援に支えられた運動は、ついに鉄塔撤去にこぎつけ、何事にも前向きな小野さんのリーダーシップが十二分に発揮された賜物でした。
多芸多才の小野さん、社交ダンス、そして四川料理の達人でもありました。何度か料理講習会を開き、小野さんの味は、地域の方に愛され受け継がれています。
また、ご家族を愛する小野さんは、炊事、洗濯、買い物と、一家の家事一切を担当していました。知る人ぞ知る、小野さんの労をいとわぬ徹底ぶり。その一心不乱の姿に、私はいつも感服するばかりでした。
小野さんは、いわきさくらんぼ保育園はじめ、私たちに多くのことを残してくれました。また、小野さんは、私の後援会を親身になって支えてくださいました。本当にありがとうございました。
小野さんの真摯な態度、一生懸命に働く小野さんの姿を、私たちは決して忘れません。
最後に、微力ではありますが、残されたご家族の力になることを、ここにお誓い申し上げます。
小野さん、くやしいけれど、悲しいけれど、お別れです。
さようなら。どうか、安らかにお眠りください。
平成20年5月24日 いわき市議会議員 佐藤 和良
