追悼、故織内博さん
2008年 09月 29日
織内さんは、作家の広瀬隆さんの講演会を企画して以来、この20年、「原発いらない いわき市民の集い」の代表として、放射能と原発の危険性を訴え、原発に頼らない社会をめざして活動されました。
1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、日本でも「原発よりも命が大事」という声が高まり、いわきで脱原発の行進団の交流会が開かれた折、わたしは「アルハンブラの思い出」を弾いて市民の心を揺さぶる織内さんに出会いました。
美しいギターの調べの中に、ギタリスト織内博さんの原発に対する秘めたる決意を感じました。
織内さんは、双葉郡の原発から東京に電力を送る100万ボルト送電線問題にも取り組みました。阿武隈山地を通る送電線下の住民が、電磁波による健康被害の不安を訴え支援を求めたとき、真っ先にたち上がって一緒に行動したのも織内さんでした。
この20年、いわきの脱原発運動のなかで、ムーミンパパのように、やさしく微笑みながらまわりを包み込んでくれる、織内さんの姿がありました。
また、織内さんは、佐藤かずよし後援会の初代会長として、親身になって支えてくださいました。織内さんの真摯な態度、やさしさを、私たちは決して忘れません。本当にありがとうございました。
ギタリスト織内博さんは、闘病生活の最後まで教え子にギターを指導していました。
慎んで織内さんのご冥福をお祈り申し上げます。合掌。