2018年 11月 14日 ( 1 )

「母は東電に殺された」法廷に遺族の叫び

 福島原発事故で強制起訴された東京電力3被告の刑事裁判は、11月14日に第34回公判が東京地裁で開かれ、被害者遺族の意見陳述が行われました。
 福島第一原子力発電所から南西約4.5キロメートルに位置する医療法人博文会双葉病院と南西4キロメートルに位置する医療法人博文会介護老人保健施設ドーヴィル双葉の患者や入所者が2度の爆発によって避難を余儀なくされ、その避難の過程ないし搬送先で、次々と44人の尊い命が奪われました。
 この日の公判では、被害者遺族5人のうち、2人が直接意見陳述を行い、3人の意見陳述書が被害者代理人や指定弁護士から読み上げられました。
 最初に、ドーヴィル双葉に入所していた両親を亡くした女性が「私が経験した東日本大震災と事故後の生活」を話しますとして、事故後7年の時が経つが、避難中で何も変わらないこと。避難は放射能汚染のためで、当時原発から3キロの大熊町熊川地区に居住しており、「事故がなければ、あの地を離れることも両親がなくなることもなかった」と述べ、「死に目に会えず、通夜も葬儀も出せなかった」と辛い胸の内を語りました。
 そして、「東京電力を許すことはできません。対策をとっていれば、女川や東海のように事故を防げたと思うと悔しい」「今、自宅の周りは中間貯蔵施設となり、土地を手放しました。原発事故で町から追い出されるとは思いませんでした」「わかっていて爆発したのは未必の故意です。私は死んでも許すことはできません」と述べました。
 次に、ドーヴィル双葉に入所していた祖父母を亡くした男性は、「祖父母が死亡したこと。その悲しみ、後悔は時間が経っても消せません。原発事故は、想定外では済まされません。祖父母は放射能さえなければ死なずにすみました。祖父母の死の責任はあります。そのために裁判に参加してきました」とのべ、「そもそも対策を取る気があったのか。責任を取ってもらえないと教訓にならない」と処罰を求めました。
 被害者参加代理人が読み上げた意見陳述書では、双葉病院に入院していた父親が寝返りも打てず、2時間ごとに体位交換を受けていた中で、避難を強いられ、搬送中にカテーテルを抜かれて10時間も水分も栄養補給もできなかったという悲惨な状況や原発を不安視していた父親の言葉が紹介され、事故発生からご遺体に対面するまで「地獄のような毎日」で「生きた心地がしなかった」ことが説明されました。
 さらに、指定弁護士は、双葉病院から避難した兄を亡くしたご遺族と双葉病院で母を亡くしたご遺族のお二人の意見陳述書を読み上げました。
 お兄さんを亡くしたご遺族は、1980年代に福島原発で働いた経験を踏まえて、「旧経営陣が他人事のようだった。原発の構造や危険性を理解せずに経営に当たっていたことに驚いた」とし、「慢心があった。公共性高い企業は、利潤追求より安全管理を願う」と述べました。
 また、双葉病院で母を亡くしたご遺族は、発災当日、双葉病院に迎えに行くも道路陥没で途中引き返し、翌日避難指示が出された、痛恨の思いを語り、4月8日に浪江警察署から連絡があり川俣警察署に搬送されたこと。対面した時「骨と皮でミイラのようだった。被告人はこの時の気持ちがわかりますか。被告人は聞いてください。」「『部下に任せているから自分の責任ではない』としか思えません」と訴え、経営破綻の企業の社長が「私らが悪い。社員は悪くない」と会見したことに触れながら、「素直に全責任は我々上層部にあると、なぜこのくらいのことが言えないのか」「母が死んだのは急性心不全ですが、東電に殺されたと思っています」と厳しく非難しました。
 勝俣被告は表情一つ変えず、書面を見ていました。
 裁判は、これで全ての証拠調べを終了しました。11月16日予定の期日は取り消されました。次回は、12月26日27日、検察側指定弁護士による論告求刑となります。さらに、来年3月12日13日が最終弁論の予定で、結審を迎えます。
 無念の死を迎えた被害者遺族の証言を踏まえ、厳正な判決を求める署名を拡大して各地での報告会を広げ、厳正な判決を求める世論を盛り上げていきましょう。
 署名要旨は以下からダウンロードお願いいたします。
https://shien-dan.org/wp-content/uploads/syomei-A4.pdf
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by kazu1206k | 2018-11-14 23:15 | 脱原発 | Comments(0)