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モニタリングポスト、住民の力で当面存続に

 5月29日、原子力規制委員会は、東京電力福島第一原発事故を受け県内に設置された「リアルタイム線量測定システム(モニタリングポスト)の配置の見直し」について、避難区域の12市町村以外にある約2,400台を2020年度末までに撤去する方針を、住民の声に押されて、ついに変更、当面は存続させる方針を決めました。
 昨年6月から県内15市町村で開かれた住民説明会では、反対の声が圧倒的多数を占めた上、いわき、会津若松、喜多方、白河の各市及びいわき市議会はじめ11町村議会が設置継続、撤去反対を求める意見書を規制委員会に提出しており、当面の存続が妥当と判断した理由となりました。
  しかし、更田豊志委員長は記者会見で、住民の「心配が強いと確認した。存続は年単位になる」と話し、狭い地域に集中的に配置しているモニタリングポストは、その地域で一時保管中の除染土などが全て搬出された後、関係市町村の理解を得て撤去、移設させ配置を適正化する方針を崩していません。規制庁は、県内のモニタリングポスト約3,000台の維持費約六億円、修理・移設費約1億円を2020年度廃止予定の東日本大震災復興特別会計に計上していますが、復興・創生期間が終了する2020年度以降の財源確保の見通しは、これからとなります。
 いわき市の清水市長は「市民の意見が反映されたと考える」と話し、除染土壌を搬出後に装置を撤去する方針については「地域の実情を踏まえた対応を求めたい」としています。

 以下は、モニタリングポストは、福島県に住む人たちが放射線量の変化を知るための大切な装置だとして、原発の廃炉が完了するまで撤去はしないよう求め活動してきた「モニタリングポストの継続配置を求める市民の会」の声明です。

2019年5月29日 方針変更を受けて

今年の3月に出されると言われていた「リアルタイム線量測定システム(モニタリングポスト)の配置の見直しについて」原子力規制委員会は5月29日の定例会合で、当面は存続させると発表しました。

武山松次原子力規制庁監視情報課長からは住民説明会での意見や各自治体から出された意見書等を含めた経緯説明があり
・廃炉作業も終わっていないのに、まだまだ時期尚早である
・目で見て確認できるモニタリングポストは唯一の科学的な判断材料だ
・住民の不安は取り除けていない
・原発事故後の対応から市民には国や規制委員会への不信感がある
などの報告がされました。
そういった状況を鑑みて、規制庁としては当面は存続でという意見が規制委員会に伝えられました。

昨年の3月20日に、撤去ありきの方針発表がされてから、私たち市民の会では3回に渡る申し入れを行い、住民説明会にも可能な限り参加するなど、規制庁のみなさんとは何度も意見交換を行ってきました。今回の発表を受け、「私たちが住民のみなさんから伺った声を規制委員会に届けます」という約束を守ってくださった武山さんはじめ規制庁のみなさんには、市民の会として、心からの感謝をお伝えしたいと思います。

そして、私たちと共に声をあげ、署名活動にもご協力をいただき、具体的な行動を起こしてくださったみなさんおひとりおひとりに
私たちの活動を支えるためにカンパを寄せてくださったみなさんに
丁寧な取材を重ねて、発信し続けてくださったメディアのみなさんに
市民の安全を守るために自治体としての声を国に届けてくださった福島県、各市町村の担当者のみなさん、
自治体首長、議長、議員のみなさんの取り組みに
心からの感謝を申し上げます。

ただし、私たちはこの発表をもろ手を挙げて喜ぶわけにはいかず、発表の中で同時に伝えられた「狭い地域に集中的に配置されているモニタリングポストについては、除染土壌の搬出が終わったら、関係市町村の理解を得ながら撤去を進める」といった内容については、懸念を抱いています。

私たちは土壌搬出作業が終わってからではなく、あくまでも廃炉作業が終わるまでの配置を求めており、狭い地域に集中している箇所については撤去ありきではなく、住民説明会の際もあがっていた「配置を求める声」を取り入れてほしいということも、これまで何度も伝えて参りました。
「線量の高い場所があり、いつも気になっているので、そこにモニタリングポストを設置してほしい」「いつも見ていたモニタリングポストが突然撤去されてしまった」などという住民の意見は、説明会の記録にも残っていると思いますし、自治体判断だけでは不十分なニーズのくみ取りを、より丁寧に、詳細に行っていくという課題は残っているはずです。

また、定例記者会見で更田豊志原子力規制委員長は、「撤去方針や見解はいまだ変わらず」であること、あくまでも、「実行に移すのは見合わせる」のだということ、「財源については維持できるよう求めていく」ということ話していました。そして、「これは技術的なことや科学的な状況という問題ではなく、心の問題なので、短い期間でどうにかなるものではない」ということも。

廃炉作業については、その準備段階の今ですら、信じられないような初歩的なミスが生じるなど、そのたびに私たちはハラハラしながら過ごしているのです。
また、現場で作業するみなさんの労働環境はかなり過酷でありながら、それを訴えることすら困難だという深刻な状況も聞いています。
こういった不安定な実態、長期的な問題を抱えながら、心の問題、受け止め方の問題だとする更田委員長の発言については、何を根拠にその自信が持てるのか・・といった不信感が更に強まったというのも正直な感想です。

今回の発表を受け、私たちの歩みはまだまだ続くな・・・とも思いますが、ひとまず喜び合うのも時には大事なこと。
みなさんのはたらき、声を高めることによる成果の大きさを称えさせていただきたいと思います!

みなさん、ありがとうございました♡
引き続き、邁進いたしましょう~!!

モニタリングポストの継続配置を求める市民の会
by kazu1206k | 2019-05-31 23:13 | 脱原発 | Comments(0)

まちづくり団体の定期総会

 市内各地のまちづくり団体など各種団体の定期総会が続いています。
 5月29日夜は、鹿島地区地域振興協議会の年次総会に出席しました。戊辰戦争150年の七本松記念事業や自主財源での実施に移行した「ふれあいかしま桜まつり」など昨年度の事業報告を踏まえ、鹿島地区地域振興協議会は、前期10年のまちづくり構想による事業から、新たな第2期の鹿島まちづくり構想の2年目に入りました。わたくしは、子どもたちの見守り活動の継続や5月21日の矢田川の大雨による増水と堆砂除去工事の現状を報告し、防災・減災のまちづくりなど、一言ご挨拶させて頂きました。
 30日夜は、小名浜まちづくり市民会議の第18期定時総会に出席しました。イオンモール小名浜の開業など、小名浜港湾背後地の整備が進行する中で、18年目を迎えた小名浜まちづくり市民会議は、小名浜の新たなまちづくりをどう進めて行くのか。会長はじめ新体制をつくり、新たなスタートの総会となりました。総会後は、ふくしま海洋科学館アクアマリンの安部義孝館長が、「小名浜さんかく倉庫 3・4号棟の再現について、講演。小名浜の原風景の再現を熱く語り賛同を呼びかけました。
 
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by kazu1206k | 2019-05-30 23:25 | 地域 | Comments(0)

教育福祉常任委員会による議会報告会

 5月28日午前、いわき市議会の教育福祉常任委員会委員による議会報告会が、いわき市社会福祉協議会の大会議室で開かれました。
 委員9名はじめ、住民支え合い活動事業を担っている社会福祉協議会と自治会などの支え合い活動実践団体代表者のみなさん20名が参加しました。
 第1部では、予算議会であった2月定例会の内容を、市議会だより「ほうれんそう」により、委員長が説明。
 第2部では、高齢者が安心して生活できる地域をめざして、地域で住民相互による自主的な支え合い活動を推進する「住民支え合い活動づくり事業に係る担い手の確保について」をテーマに、3班に分かれて、ワークショップ形式で意見交換しました。
 広報活動や情報共有、地域内の連携、シニアボランティアポイント事業の年齢制限の撤廃によるインセンティブの強化、有償化、中高校生などへの働きかけなどなど、効果や実効性に富むご意見も多く出されました。議会での議論につなげていきたいと思います。


*住民支え合い活動づくり事業
 (いわき市社会福祉協議会の高齢者福祉事業)

 地域住民や企業など多様な主体による生活支援サービスの充実をめざし、地域で暮らす高齢者をはじめ、子育て世代、子どもや障がい者など何らかの関わりやつながりを必要とする方々にどのような支援が求められているのかを共に考え、それに対してできる・やりたい・必要と考える「住民支え合い活動」の創出を支援することを目的に「いわき市住民支え合い活動づくり事業」を実しています。    
  市内13ヵ所(旧市町村)に、「第2層協議体」を設置し、住民支え合い活動の必要性についての勉強会や地区内の住民が抱える生活課題の整理、必要な支え合い活動の検討等を行っています。

*第2層協議体構成メンバー
・行政嘱託員(区長)連合協議会  ・民生児童委員協議会   ・地縁組織(老人クラブ、青年会、婦人会等) ・民間企業  ・社会福祉法人  ・協同組合  ・NPO法人  ・ボランティアグループ  ・その他の関係団体等 ・支え合い活動実践団体代表者(第3層協議体)  ・行政職員(支所・地域振興担当員)  ・地区保健福祉センター職員 ・地域包括支援センター職員  ・地域福祉コーディネーター  ・生活支援コーディネーター

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by kazu1206k | 2019-05-28 22:45 | 議会 | Comments(0)

福島第一原発過労死裁判、子供さんたちの意見陳述

 2017年10月に、福島第一原発構内で働いていた自動車整備士・猪狩忠昭さんが長時間労働で過労死した事件で、ご遺族が雇用元・元請け・東京電力の三社を相手取って提訴した、安全配慮義務違反等の損害賠償請求訴訟の第2回口頭弁論が、5月23日午後、福島地方裁判所いわき支部で開かれました。
 ご遺族である息子さんと娘さんのお二人が原告として意見陳述を行いました。
 今回も満席の傍聴席、多くの傍聴者が涙なしには聴けませんでした。
 ご了解を得て、原告の意見陳述をご紹介します。
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福島地方裁判所いわき支部
民事部御中
2019年5月23日
原告 ●●●●
陳 述 書

僕が学生時代の頃、父はとても厳しい人でした。
長男として、男として、人として、約束事や決め事が沢山ありました。出来ていなければ当然ながらよく怒鳴られていました。
その頃の僕は正直、厳しい父の事を好きではありませんでした。
休みの日にはたまに車のタイヤ交換や、オイル交換など、色々手伝いもさせられていました。
そんな日々の中、東日本大震災が起きました。幸い僕ら家族は無事でしたが、あの日は車の配送をしていた父と連絡が取れず、父は翌日の朝ようやく帰宅し、安心したのを覚えています。
グチャグチャになった自宅の掃除に追われ、水道が止まり、電気が止まり、食べるものが無くなり、
缶詰が食事だったその頃、原発で爆発が起こると叔母からの連絡に、母は僕と妹を車に乗せて、夜の暗い49号線、会津の祖母の実家へ、先に避難していた叔母達の後を追うように走りました。
途中、猪苗代のコンビニがオープンしていて、温かいおでんとおにぎりを食べました。
缶詰が食料だった時、あの温かいおでんがこの世のものとは思えない美味しさに、感謝した事を覚えています。しかし、父は仕事があるからとの理由で、一緒に来ませんでした。
母は、子供達を被曝させる事は出来ないと、いち早く行動した。その翌日の午前中、原発の爆発が報じられ、僕たちは被曝を避けられたのです。その間、いわきにのこして来た父や祖父が心配で、僕たちは毎日毎日、父に電話で早く避難してと訴えましたが、頑固な父が会津にきたのは、その1週間後くらいでした。
避難先から自宅に帰宅した際も、雨の中車の整備をしていました。僕は雨に当たるのが怖かったのに、父は気にしていなかったのか、それよりも車の整備が大事だったのかもしれません。

僕が美容師を目指す為東京に上京すると言った時、父は反対していたと母に聞きました。
きっと父は同じ道を共に歩んで行きたかったのでしょうか、でも僕は違う土俵で父と勝負したいと言う想いも心のどこかにあり、卒業後東京に向かいました。
専門学校の頃はよく家に帰っていましたが、仕事が始まるにつれ、父と向き合う時間も少なくなり、久しぶりに会った時は、どこかよそよそしかったり、でも話してみるとそんなことなかったり、
そしてその頃はいつも以上にとても穏やかな表情の父でした。
何度か父の髪を切ってあげる事が出来ました。口下手な父は僕の前では普通でしたが、職場の仲間へ、「息子に髪を切ってもらったんだ。」と喜んでいた事を後で聞きました。
近いとうるさいが、遠くなると寂しいのが家族なんだなとその時は思いました。
2017年のゴールデンウィークには、母と妹がいる茨城に車を置いて、珍しく電車を乗り換え、一人で僕のアパートまで来ました。その日初めて親父とサシでお酒を交わしました。その時は僕の方が少し緊張していたかもしれません。最近は飲み口が軽いものをとレモンサワーを片手に僕の仕事の話を聞いてくれました。親父は応援してくれていました。親父は仕事どうなの?と質問しましたが、僕の事ばかりで、話してはくれませんでした。
今思えば、話さなかったのか、話せなかったのか、僕にはわかりません。
そこに写る親父の姿は昔とは違って、人生の先輩、そんな印象でした。
仕事に就くようになってから、僕ら二人の関係性は少し折り目がついたんだと思います。
その年の秋に、カットコンテストに出場しました。毎年それぞれの種目で参加して来ましたが、なかなか成果が出せずにいましたが、その年のカット部門で、初めて入賞する事が出来、翌日家族ラインで入賞した写真を送り皆に報告する事が出来、家族が喜んでくれましたが、父からの返信は「稼げるカッコいい男を目指して頑張れ!!」今までらしくない、変に真面目な返信が帰って来て、僕も何気なく返しました。
その18時間後、父は他界しました。この言葉が親父からの最後のメッセージでした。
やっと形に残す成果を見せる事が出来たのに、やっと反対されていた道で喜ばせてあげる事が出来たのに、母から電話で、「●●、いい?落ち着いて聞いて!お父さんが亡くなった。」丁度休憩時間に入り、昼食を買いに外に出ていた僕は母からの電話をタイミングよく取ることが出来た。どうしたの?と普通に取った電話のさきの母の声は、いつもと違かった。僕は昼食を買う気力がなくなり、そのままお店へ戻り、涙をこらえて仕事を続けた。あの時どうやって仕事が出来たのか、今でも思い出せません。
10月の半ばに友人と北海道旅行に行った時、父がこずかいを振り込んでくれたので、お礼にカニと帆立とホッケを実家に送りました。父は会社の方に「今日は息子からの土産で米炊いて食べるんだ!」と喜んで言っていたそうです。送り状も捨てずに取ってありました。そして冷凍庫にはまだ食べていないホッケが残されていました。やっと親孝行らしき事が出来た矢先でした。
お通夜には、会場に入りきれないほどの、父の友人、以前の職場の仲間が来てくれました。父の車関係の友人から「息子が車に興味がないんだ、って寂しそうに言ってたぞ」と初めて聞きました。
学生時代の父の友人達は、告別式までの4日間、毎日自宅の父の亡骸に逢いに来てくれました。
皆声を上げて泣いていました。そして僕にしっかりな!と大きなその手で背中をポンと叩いてくれた事を忘れません。沢山の仲間たち、親族に愛され、見送られる親父を見て、その背中に教わる事がまだきっと沢山あったのだろうと思います。
突然親父が亡くなって早1年半が立つ今日までと明日から起きる出来事の中で親父ならどうするかな?と自問自答しながら過ごしています。
もっと話したかった、もっと酒を酌み交わしたかった。もっと親孝行したかった。
頑固な父は仕事にも頑固で、頑張り過ぎたと思います。でも、原発と言う特殊な環境の元で、
特殊車両の整備に携わっていた父は自分の仕事に誇りを持っていたに違いないと、
だからこそ、父が亡くなってからのあまりにも酷い対応に、許せない気持ちでいっぱいです。
僕の親父の代わりは誰もいない、かけがえのないたった一人の父親です。
なぜ死ななければならなかったのか、息子として、真実を知る権利があると思います。
子や孫に、こんなおじいちゃんがいた事を語り継いで行くために。
そして故郷福島で、原発収束作業に携わる多くの作業員の命を守れる裁判にして下さい。

最後になりますが、裁判を始めるに当たり、意見陳述の場を与えて下さった裁判所に対して
感謝申し上げます。

以上
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福島地方裁判所いわき支部
民事部御中
2019年5月23日
原告 ●●●●●
陳 述 書

父は口下手であまり褒めない人でしたが、私は父のことが大好きでした。

母は東日本大震災の後から仕事の関係で茨城県にアパートを借りながら福島県と茨城県を行ったり来たりしている状況で、高校生活はほとんど父と二人で暮らしていました。
初めは、食事も掃除も洗濯も、分担制がなく二人であたふたやっているような状態でしたが、
私が高校2年生の冬あたりから、平日の食事は私で、休日は父と言う感じで分担して行うようになり、毎日楽しく過ごしていました。
私は高校のお弁当もなるべく作るようにしていたので、一緒に父の分も作るようになり、
父は必ず卵焼きを入れてね、と言って、とても喜んでくれました。
しかし2013年の高校2年生の頃から、週に一度や二度、明日は早いからと言われ、その頃はお仕事が大変そうだなと感じていましたが、3年生の頃からは、平日はほぼ毎日午前3時15分に目覚ましをつけて準備をし、4時には仕事に行くようになり、朝は私が起きる頃には父はいない状況が毎日続いていました。

私は高校で部活をしていたので、朝は時々送ってもらっていたのですが、毎日4時に出勤するようになってからは、朝の送りもなくなり、帰りは18時30分頃に部活が終わる為、最初の頃はその時間にお迎えに来てくれていたのですが、早朝出勤になってからは、帰りも遅くなり、18時30分に終わる部活の迎えに間に合わず、近くのスーパーで1時間時間を潰して待っていたことや、友達の親に送ってもらう事が増え、父をとても心配していたのを覚えています。ですが、父はあまり仕事の話をしない人だったので、私も何も言わずにそっと見ていただけでした。

部活から一緒に帰宅すると、平日は私が食事担当なので、準備し、父はテレビを見ながらソファですぐに寝てしまい食事ができる頃起こして一緒に食べました。食事の時間が唯一のコミニケーションの場であり、時には学校での出来事を相談したりもしていました。
食事が終わるとまたソファでいびきをかきながらすぐに寝てしまい、私はよく、「そんな所で寝ると風邪ひくよ?」と言っていたのですが、何度言っても父は「朝が早いからここじゃないと起きれないんだ」と毎日寝室のベットではなく、リビングのソファで寝るようになりました。今思うと、仕事のことは何も語らない父でしたが、体は毎日限界で相当しんどかったのだと、思います。

私達家族はとても仲が良かったので、父が連休の時や兄の休みが被った時は家族みんなで集まり、食事に行ったりお出かけをしたりと、家族の時間も大切にしてきました。
10月6日父が亡くなる20日前もいつものように家族揃って食事をしました。その時は、父が亡くなるなんてほんの少しも思いませんでしたから、いつも通りの見送りをして、次の連休にね、と手を振ったのが、父の姿を見た最後でした。
父が亡くなった日、授業中の私に初めて母から電話がかかってきたので、何かあったのだと思いラインを打とうとしたら、父が心肺停止と言うラインが来ました。その時頭が真っ白になり急に動悸が始まりパニックの状態でした。しかしその時はまだ父が亡くなっていると言う理解までは出来ず、心の何処かで今頃は蘇生されて息を吹き返しているだろうと思っていました。急遽家に戻り、後から帰って来た母に、亡くなったのだと言う事実を聞いて、私は崩れ落ちました。
この間まであんなに元気だった父が信じられないと、何度も何度も嘘だと思い続けました。ですが、夕方父が運ばれた病院に到着し、父の苦しそうな顔を見たとき初めてこれが現実なんだと胸が突き刺される思いでした。今でもあの時の状況を思い出すだけで、涙が止まりません。そして、この苦しみは一生消えません。

父が亡くなってから、父の友人や仕事先の方から沢山父について話しを伺い、家族でも初めて知る父の姿ばかり聞く機会が沢山ありました。父は口下手で、直接褒められた事は数えきれるくらいしかなかったのですが、仕事先の方に陰で家族を褒めていたり、困っている人を助けたりと、本当に人間の鏡のような父であると改めて気づかされました。
そんな仕事熱心で、思いやりのある父がなぜ突然死ななければならなかったのでしょうか?
父がなくなって1年7ヶ月、私は幼少期の頃からの夢だった看護師になりました。父もずっと応援してくれていました。看護師になったら、沢山親孝行をしていこうと決めていました。
それなのに、直接報告する事も出来ず、これから先、父との思い出も作れずにお別れになってしまった事を悔やんでも悔やんでも悔やみ切れません。ナース服を着た姿を見せたかった。結婚式のバージンロードを手を引いてもらい歩きたかった。孫を抱いてもらいたかった。1ヶ月後の前撮りの成人式の晴れ姿さえ、見せてあげる事が出来なかった。もっともっと思い出を作れるはずだったのに…
蘇生も十分に行ってもらえず、過労死と言う形で命を落とした父の死を無駄にしたくありません。そして、こんなに悲しい思いをする家族がこれ以上出て欲しくありません。

どうか、今現在も、父と同じような大変なお仕事をされている多くの方々を、過労死や事故死から守ってください。そして大好きな父がなぜ死ななければならなかったのか?未だに解明されていない真実を
裁判で明らかにして下さい。

最後になりますが、裁判を始めるに当り、意見陳述の場を与えて下さった裁判所に対して感謝申し上げます。
以 上 
by kazu1206k | 2019-05-27 23:52 | 雇用 | Comments(0)

映画「道草」

 映画「道草」を観ました。
 重度の知的障害者が、ヘルパーと共に地域で自立した生活を送る日常を描いたドキュメンタリー映画です。いわき市内では、現在、まちポレいわきで5月30日まで上映中です。
 「知的障害者のひとり暮らし」、本当にどうなんだろう、可能なのだろうか。その問いに、一つの形を示し、人が生きることの根源的なあり方を考えさせてくれました。
 映画は、『知的障害がある人の暮らしの場は少しずつ広がっていますが「重度」とされる人の多くは未だ入所施設や病院、親元で暮しているのが実情です。そんな中、2014年に重度訪問介護制度の対象が拡大され、重度の知的・精神障害者もヘルパー(介護者)付きでひとり暮らしが出来る可能性は大きく広がりました。この街で、誰もがともにあるために。あたらしい暮らしをはじめている人がいます。』と。

 2016年の津久井やまゆり園で起きた障害者の大量殺傷事件。障害者を地域から隔離収容する日本の社会のゆがんだ姿が衝撃的に露出しました。そんな現実から、障がい者も一緒に生きられる日本の社会にしていくために、みんなに見ていただきたい映画の一つです。

 施設関係の知人も「堅苦しくなく、どこかユーモラスなところもあり、いろいろなことを考えさせられる、奥の深い映画でした。」と推薦してくれました。

●まちポレいわき:5月17日(金)〜30日(木)の公開。
17日~23日は12:20~上映、24日は9:45~上映、25日~30日は10:15~上映です。
※ 27日(月)の上映後、宍戸監督による舞台挨拶があります。

●ストーリー

暮らしの場所を限られてきた人たちがいる。
自閉症と重度の知的障害があり、自傷・他害といった行動障害がある人。
世間との間に線を引かれ、囲いの内へと隔てられた。そんな世界の閉塞を、軽やかなステップが突き破る。
東京の街角で、介護者付きのひとり暮らしを送る人たち。
タンポポの綿毛をとばし ブランコに揺られ、季節を闊歩する。介護者とのせめぎ合いはユーモラスで、時にシリアスだ。
叫び、振り下ろされる拳に伝え難い思いがにじむ。関わることはしんどい。けど、関わらなくなることで私たちは縮む。
だから人はまた、人に近づいていく。

知的障害がある人の暮らしの場は少しずつ広がっていますが「重度」とされる人の多くは
未だ入所施設や病院、親元で暮しているのが実情です。そんな中、2014年に重度訪問介護制度の
対象が拡大され、重度の知的・精神障害者もヘルパー(介護者)付きでひとり暮らしが出来る可能性は
大きく広がりました。この街で、誰もがともにあるために。あたらしい暮らしをはじめている人がいます。

●出演団体

・NPO法人 自立生活センターグッドライフ

1994年に東久留米市に住む重度障害当事者を中心に、「全ての人が地域で当たり前の生活を!」という目的で活動を開始。身体障害者だけでなく知的障害者、重複障害者への支援を行い、特に長時間の介護が必要な知的障害者の自立生活支援を20年以上前に先駆的に開始した。その後知的障害者(重度者を含む)のグループホームを開設し、親元や都内・都外の入所施設から自立への第1歩として利用者を受け入れ、終の住家としてではなく、自立生活へ向けた支援を積極的に展開している。

・NPO法人 自立生活企画

1992年に重度身体障害者の24時間介護制度の実現を求め田無市に設立。田無市をはじめとして保谷(2001年に田無と合併して西東京市) ・東久留米・東村山・小平・清瀬市など周辺市町村においても次々と24時間介護保障を実現。近年は、児童や重度知的障害者の自立支援を積極的に行っている。障害者に「自己選択」「自己決定」「自己責任」を求める「突き放す自立支援」ではなく、時には厳しく、時には甘く、時にはあいまいに寄添いながら、介護者と障害者が互いに責任を取り合う関係性の構築を目指して自立支援を行っている。

・練馬区介護人派遣センター

どんなに重度の障害を持っていても、一人の社会人、一人のおとなとして、自分の望む地域で、自立しあたりまえの生活をしていけるように…そんな想いがあつまって、障害者と介護者が一緒に作りあげてきた団体です。

●監督・撮影・編集

宍戸大裕 ししど・だいすけ

映像作家。学生時代、東京の自然豊かな山、高尾山へのトンネル開発とそれに反対する地元の人びとを描いたドキュメンタリー映画『高尾山 二十四年目の記憶』(2008年)を製作。東日本大震災で被災した動物たちと人びとの姿を描いた「犬と猫と人間と2 動物たちの大震災」(2013年劇場公開)、人工呼吸器を使いながら地域で生活する人を描いた「風は生きよという」(2016年劇場公開)、知的障害がある人の入所施設での人生を描いた「百葉の栞さやま園の日日」(2016年製作)がある。
 過去作品: 犬と猫と人間と

映画「道草」公式サイトはこちら
https://michikusa-movie.com/

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by kazu1206k | 2019-05-26 23:48 | 文化 | Comments(0)

原発賠償シンポジウム「原発ADRの現状、中間指針の改定、時効延長の必要性について」

 日本弁護士連合会は、日本環境会議との共催による、原発賠償シンポジウム「原発ADRの現状、中間指針の改定、時効延長の必要性について」を開催します。以下、ご紹介します。

原発賠償シンポジウム「原発ADRの現状、中間指針の改定、時効延長の必要性について」

東京電力福島第一原子力発電所事故から8年が経過しました。この間、東京電力の対応を不服として、全国で1万2000人以上の原告が、訴訟を提起しています。

その一方で、原発事故により被害を被った人々を円滑、迅速、公正に紛争を解決する原子力損害賠償紛争解決センターが提示した和解案を、東京電力が「東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針」を理由として不合理に受諾拒否しているため、多くの被災者が和解の提示があっても賠償を受けられない状態に置かれています。

また、原発事故発生から8年が経過した現在においては、10年と定められた原発賠償請求権の消滅時効の延長についても検討する必要があります。

このような原発被災者らの現状に鑑み、原発ADRの現状分析と在るべき制度設計の検討、中間指針改定の必要性及び時効の再延長の必要性等を検討します。ぜひ、御参加ください。


日時2019年7月27日(土) 13時30分~17時00分(開場:13時00分予定)
場所 弁護士会館 2階講堂クレオ→会場地図
(千代田区霞が関1-1-3 地下鉄丸ノ内線・日比谷線・千代田線「霞ヶ関駅」B1-b出口直結) 
参加費無料
参加対象どなたでもご参加いただけます(定員300名)

内容(予定)
第1部(基調講演)
 原子力損害賠償の現状と課題
  潮見佳男氏(京都大学大学院法学研究科教授・民法)

第2部(報告)
 東京電力の和解案受諾拒否による和解仲介手続打切りの実情 
  渡邊真也弁護士(福島県弁護士会)

 原発事故後8年経過時の損害の実態と中間指針改定の必要性
  渡辺淑彦弁護士(福島県弁護士会、災害復興支援委員会幹事)

 ふるさと喪失/剥奪被害の実態と賠償の考え方
  関礼子氏(立教大学社会学部現代文化学科教授)

第3部(パネルディスカッション)
 テーマ① 中間指針改定の必要性
 テーマ② 原発ADR制度の再設計(和解案の片面的拘束力の付与等)
 テーマ③ 時効延長の必要性

 コーディネーター
  除本理史氏(大阪市立大学大学院経営学研究科教授)

 パネリスト
  ・吉村良一氏(立命館大学法務研究科教授)
  ・大坂恵里氏(東洋大学法学部法律学科教授)
  ・大森秀昭弁護士(東京弁護士会)
  ・渡邊真也弁護士(福島県弁護士会)

申込方法事前申込不要(当日会場にお越しください) ※定員250名

主催
日本弁護士連合会
共催
日本環境会議
お問い合わせ先
日本弁護士連合会 人権部人権第二課
TEL:03-3580-9910  FAX:03-3580-2896

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by kazu1206k | 2019-05-25 23:49 | 脱原発 | Comments(0)

6月定例会に向けた会派勉強会

 5月21日・22日の2日間、いわき市議会創世会は、6月13日から開会予定のいわき市議会6月定例会に向けた会派勉強会を実施しました。
 いわき市議会創世会は、私を含めて6名が所属していますが、両日とも丸一日、朝8時40分から夕方午後4時20分まで、執行部の各担当課から事務事業の説明を受け、質疑と意見交換を繰り返し行いました。
 主なテーマは、以下のようなものです。

総合政策部
・福島イノベーション・コースト構想について
・町外コミュニティに係る取り組み状況について
・UIJターン推進事業について

総務部
各種委員会
・小川支所庁舎整備基本計画の策定について
・公共施設等における受動喫煙防止対策について
・選挙事務緊急時対応マニュアルについて

財政部
・平成30年度の一般会計等の決算見込みの総括について
・平成30年度の市税等収入見込みについて
・平成31年度地方税制改正等について

文化スポーツ室
観光交流室
・平成31年度いわき市立美術館の企画展について
・サモア独立国のラグビーW杯2019における事前チームキャンプ等につい

市民恊働部
・市営墓園について
・国民健康保険事業について

生活環境部
・マテリアルリサイクル施設整備事業について
・廃棄物特別回収モデル事業の実施について
・除染土壌等の搬出と仮置場の返地状況について

保健福祉部
・民生委員・児童委員について
・平成31年度の介護保険事業の概要について
・風疹の追加的対策について

こどもみらい部
・認定子ども園等の認可及び整備状況について
・放課後児童クラブについて
・ひとり親家庭に対する支援について

農林水産部
・第三者認証GAP取得等促進事業について
・ふくしま森林再生事業について
・水産業振興推進事業について

産業振興部
・風力発電関連産業の創出と地域企業参入に向けてあ調査・研究事業について
・市内の雇用情勢について

土木部
・市内主要道路の整備状況について
・復旧・復興道路維持補修事業について
・河川洪水ハザードマップについて

都市建設部
・共創型地域交通モデル事業(三和・田人地区)について
・いわき駅並木通り地区第一種市街地再開発事業(組合施行)について
・いわき市ブロック塀等撤去支援事業について
・中心市街地活性化広場公園整備事業(いわき駅周辺地区)の進捗状況について

教育委員会
・平成31年度(令和元年度)いわき市の「教育」に関する主な取り組み
・コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)導入事業について
・小・中学校空調設備設置事業について

消防本部
・消防団の機械及び装備品の更新整備について
・住宅用火災警報器の設置が免除されるための新たな要件について
・消防車両の整備更新について
・119番通報受付時における電話同時通訳業務の開始について

水道局
・平成30年度水道事業会計決算見込みについて
・重要給水施設配水管整備事業について

共立病院
・平成30年度病院事業会計決算見込みについて
・医療スタッフの現状について
・院内保育所の運営について
・新病院建設事業について
by kazu1206k | 2019-05-24 23:06 | 議会 | Comments(0)

原発過労死裁判、遺族を支援し共に闘う大集会

 5月19日午後、 福島第一原発過労死責任を追及する会結成 「遺族を支援し共に闘う大集会」がいわき市労働福祉会館で開催されました。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故収束作業で構内自動車整備をしていた自動車整備士・猪狩忠昭さんが2017年10月26日に亡くなりなした。東京電力は猪狩さんの死亡を発表した際、作業との因果関係はないと明言していました。
 猪狩さんは、亡くなる5年前の2012年3月にいわき市内の自動車整備・レンタル企業に入社した時から、車両整備にあたり、亡くなった当日、昼休みの後、午後の作業に行く時に倒れ、午後2時半過ぎに広野町の高野病院で死亡を確認、死因は致死性不整脈と診断されました。
 猪狩さんは、2017年4月以降、月曜から金曜、朝4時半に出勤し一般道を自動車で福島第一原発に移動、事務所に戻るのが夕方5時から6時という生活が続きました。遺族らは、亡くなる直前の3か月間の平均残業時間は約105時間。亡くなる半年前からの1か月あたりの残業時間は最大で130時間超、平均で110時間に達していたとして18年3月にいわき労基署に労災申請し、いわき労働基準監督署が2018年10月17日に労災認定しました。
 集会では、まず、フクシマ原発労働者相談センター代表が開会挨拶とこれまでの経過を、東京労働安全センター代表が労災申請の取り組みの経過を、それぞれ報告しました。その後、弁護団の斎藤弁護士らが、猪狩さんのご遺族3人が原告となり、安全配慮義務違反等を理由に、雇用元(いわきオール株式会社)・元請け(株式会社宇徳)に対する責任と、高濃度の放射性物質が飛散する敷地内における救急医療体制に責任を負う東京電力の責任を追及して、2019年2月13日に福島地方裁判所いわき支部に損害賠償請求の訴訟を提起し、3月25日に、福島地裁いわき支部で第一回の口頭弁論が行われ、猪狩さんの遺族が意見陳述、原告側代理人が意見書を提出した裁判経過を報告しました。
 その後、福島第一原発の事故現場で働く労働者の特別報告に続き、遺族が猪狩さんの人間性、そして提訴に至る経過、福島第一原発の事故現場で働く労働者の安全確保のための裁判であることなど、切々と訴えました。
 ご遺族(原告)を支援する「福島第一原発過労死責任を追及する会」の結成を承認し、次回裁判傍聴と追及する会への賛同を訴えました。

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by kazu1206k | 2019-05-22 23:34 | 脱原発 | Comments(0)

大雨で矢田川が増水

 5月21日は、朝から大雨となりました。11時過ぎに洪水警報が出された、いわき市では、水防本部が立ち上がり、13時には第一配備体制がしかれました。
 降り始めからの雨量は小名浜で134ミリを超え、鹿島町の矢田川は、13時に水防団待機水位の2.11mを超え、ピーク時には、氾濫注意水位の2.8mを超え3.4mまでに増水したため、地元のいわき市消防団第2支団第4分団が水防出動して、警戒を呼びかけました。
17時45分に土砂災害警戒情報が解除されましたが、大雨・洪水警報は20時過ぎまで続きました。
 わたくしは、矢田川の増水現場と水位を確認して、小名浜支所の設置された小名浜地区水防本部に状況報告を行いました。市内では、市道16路線で道路冠水があったものの、被害報告はなくホッと胸をなでおろした次第です。
 ちょうど矢田川では、飯田橋下流で、堆砂除去の工事が始まっていたところでした。継続して福島県に要望活動を行ってきた案件ですが、ようやく昨年度予算が執行されている状況です。大雨被害が発生する前に、継続して堆砂除去を進めていただきたいところです。

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by kazu1206k | 2019-05-21 23:42 | 地域 | Comments(0)

福島原発震災情報連絡センター第9回総会

 5月16日、自治体議員による「福島原発震災情報連絡センター第9回総会」がいわき市で開かれました。箕面市、静岡市、柏崎市、刈羽村、新潟市、東京都内の各区各市、千葉県内の各市そしていわき市などから、被災者への支援活動を継続してきた全国の自治体議員が参加しました。
 福島原発震災情報連絡センターは、全国の自治体議員の有志により、原発震災で放射能汚染と被曝を強制される人々の生存権を守ることを目的に、2011年10月26日に設立。以降、「(仮称)福島原発被曝者援護法」制定プロジェクトやウクライナ現地調査の実施、「『原発事故子ども・被災者支援法』推進自治体議員連盟」の結成、継続的な政府交渉などの活動を行い、「原発事故子ども・被災者支援法」(以下、「支援法」)の骨抜きに抗し市民団体と連携して「原発事故被害者の救済を求める全国運動 実行委員会」に参加し、国会請願署名などにも取り組んできました。
 総会では、東日本大震災から8年を経て、福島第一原子力発電所事故による原子力災害はその深刻さの度合いを増していること。2011年3月11日に出された、政府の原子力緊急事態宣言は解除されず、事故収束の見通しも立たず、放射性物質を大気と海洋に放出し続け、連日4,300人の労働者が事故収束作業に従事、多重下請け構造の下で、過労死など労働法令違反事件も深刻な中で、「支援法」の具体的施策が進められないまま、避難者への住宅支援の激減緩和措置も2019年3月末で打ち切られ、多くの避難者が深刻な事態を迎えた現状で、諸団体と連携し、引き続き被災者の「生存権」の確立・保障にむけて、各議会での意見書採択、国会議員との意見交換や政府交渉・予算要望などの活動を展開してきた18年度を振り返りました。
 その上で19年度は、福島現地の現状と課題への認識を深め、被災者の「生存権」の確立・保障に向けた活動を継続すること、被災地域や被災者の実情把握と支援に関わる課題の整理、現地調査を行い、福島県内の空間線量率のモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の継続配置を求めること、自治体議会での意見書、政府・国会への要請・交渉行動などを、自治体議連や全国運動と連携して活動を強化することを確認しました。

 総会後は、以下のテーマで講師を迎え研修を行いました。
(1)報告:除染廃棄物の処理、焼却と再利用問題ー和田央子さん(放射能ゴミ焼却を考える福島連絡会)
 「日本政府は放射能汚染ゴミをどのように処理しているか」と題して報告。福島原発事故前は、原子炉等規制法のクリアランス基準が100ベクレル/kg、事故後は「放射性物質汚染対処特措法」で8000ベクレル/kg以下は焼却・埋め立て、再利用へ。8千億円を超える予算を投じ除染廃棄物の仮設焼却場が建設しては解体されている。廃棄物は全国の公共事業での再利用、8000ベクレル/kgから10万ベクレル/kgの汚染廃棄物は管理型処分場に。焼却処分に伴う健康や環境影響など危険な現状が報告され、「これらの業者は原発関連業者が多く、もともと原発で儲け、原発事故処理で儲けてさらに復興事業で儲けるという、何重にも儲かる仕組みになっている」と。
(2)報告:福島第一原発過労死裁判ー裁判原告(ご遺族)
 2012年から福島第一原発内で自動車整備の仕事をして過労死した猪狩さんのご遺族にお話しいただきました。2017年、防護服・全面マスクのまま倒れ、帰らぬ人となった猪狩さん。倒れたときは放置同然、その後の遺族への説明も東電は拒否。遺族は「二度と過労死、事故死を起こさないためにも、真実を知り、責任の所在を明らかにしたい」と裁判を起こされた。夫が「なぜ死ななければならなかったのか」を調べていくうちに、「虫けらのように、物のように扱われている原発で働く作業員」の実態が明らかになり、夫の死をきっかけに「真実を知りたい、家族は知る権利がある、二度と再び起こしたくない」という一心で裁判に訴えたお連れ合いと妹さんの迫真の報告でした。
(3)報告:福島県の漁業の現状と汚染水問題ー野崎晢さん(福島県漁業協同組合連合会会長)
 福島県の漁業は、潮目の海の恩恵を受け、震災前は、約200種もの多彩な魚介類の水揚げ。震災被害と施設の復旧の一方で、事故の影響により国から44種類の出荷制限(本年4月現在5種類に減少)。今年で8年を迎えた試験操業。福島県漁連では、福島県のモニタリング調査、福島漁連の基準(国基準の半分)、市場の自主検査の3段階の検査体制で、安全を確認して出荷しているが、平成30年の水揚げ量は震災前の15%の低水準であること。大きな課題は漁業と汚染水の問題で、野崎さんは「原発事故さえなければと思うが、しかしこの状況の中で自分たちの本業である漁業を続けていくしかない」「負のアドバンテージを持ちながら福島の漁業を再構築していきたい」「すべてに矛盾はあるか矛盾を受け止めて生きる」と現状の矛盾と苦悩を語るとともに、「トリチウムなどとんでもない。汚染水は海洋放出ではなく、あくまでも陸上で処分すべき」と話しました。

 翌5月17日は、被災地スタディーツアー。午前は、木幡ますみさん(大熊町議会議員)のガイドで、定点観測を軸に、楢葉町の特定廃棄物最終処分場、富岡町の避難指示解除区域や東京電力廃炉資料館、大熊町の復興再生拠点や大熊町役場など帰還促進下の現状を探る視察を実施。午後には、いわき放射能市民測定室たらちねのアトリエ「ワルンペ」やラボそしてクリニックを見学しました。

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by kazu1206k | 2019-05-20 22:08 | 議会 | Comments(0)