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ALPS処理汚染水差止訴訟の第7回口頭弁論

5月26日、ALPS処理汚染水差止訴訟の第7回口頭弁論が開かれました。
 東京電力福島第一原発の汚染水海洋投棄の差止を求める「ALPS処理汚染水差止訴訟」は、原発事故を起こした国や東電による「二重の加害」だとして福島県内外の365名が海洋投棄中止を求めて提訴したものです。
 第7回口頭弁論に先立ち、福島市市民センターで事前集会が開かれ、弁護団、原告団から、決意が述べられました。
 進行協議の後、午後2時に福島地裁203号法廷で第7回口頭弁論が開廷。
 今回は、原告1名の意見陳述(要旨を下記に掲載)と、原告の代理人弁護士による陳述が行われました
 原告は、「ほぼすべての国民が、日本近海で水揚げされた魚を何らかの形で摂取しているのですから、この防御権侵害による不利益は国民全員に及んでおり、この裁判のすべての原告が原告適格を有していることは明らかです」「国が東電HDに対して行った「ALPS処理水」の海洋放出の許可は不当であり、直ちに取り消されるべきであることは明白です。福島地裁が、被災地の裁判所として、国民の基本的人権を守る憲法の立場に基づき、公正な判決を出されることを求め、私の陳述を終わります」と強く裁判所に訴えました。
 原告代理人弁護士からは、本訴訟の原告全員に原告適格が認められることを明らかにする「放出設備の通常運転において認められる原告適格」の準備書面と「原告適格判断おいて、ALPS等の危険性を考慮する必要性」の準備書面の陳述、さらに、「国連特別報告者による報告の内容〜ALPS処理汚染水の海洋投棄に関する人権への影響について」の主張立証を行いました。
 その後、次回、次々回の期日が確認されました。
・次回期日、2026年9月24日13時20分から進行協議、14時から口頭弁論。 
・次々回期日、2027年1月21日13時20分から進行協議、14時から口頭弁論。
 
 午後2時からは、裁判並行集会も福島市市民センタで開かれ、閉廷後の午後3時過ぎ、裁判報告会が行われました。

*裁判報告会の様子は録画を後日配信します。
 ALPS処理汚染水差止訴訟 - YouTube

【原告の意見陳述要旨】

1.はじめに
 私の職場は農業関係で、全国転勤があります。地元の福岡県北九州市を皮切りに、神奈川県横浜市、愛知県名古屋市、千葉県成田市と転勤し、2007年4月から福島県西郷村に転勤して、そこで生活を始めました。東京電力福島第一原発事故が起きたのは、西郷村で生活を始めて4年を迎えようという時期でした。
 大都市部中心に勤務してきた私にとって、就職して以降、大都市部でない地域での勤務は福島が初めてでした。空気も水もきれいで、農産物をはじめ食料品はどれもおいしくて安く、原発事故が起きるまでは、ここを引退後の最終的な生活場所にしてもよいとさえ思っていました。
 そんな私が、原発事故が起きてからは、1日も早く福島から離れたくて仕方ありませんでした。異動希望が通らないのであれば、辞めて転職したいとまで思い詰め、毎日、転職先を探していました。私の歴代の勤務地のうち、現在の北海道に次いで福島が2番目によいとの評価は現在も変わっていません。そんな私の思いが詰まった福島を放射能で汚した被告・東京電力ホールディングスを私は決して許すことができません。
 事故後、私は、簡易線量計を入手した2011年5月23日から7月15日まで、福島県西郷村内の自宅周辺で毎日、空間線量測定を行ってきました。西郷村では、毎年8月に村民夏祭りが行われますが、それに先立つ7月第1日曜日に村内一斉清掃が行われるのが恒例になっています。原発事故後でも中止されることなく、2011年7月3日(日)、例年通りに一斉清掃が行われました。
 その際、除草した雑草を積んでいた自宅近くの神社の境内で、積まれた雑草に簡易線量計を当ててみると、10μSv/hが測定限界の簡易線量計が振り切れました。雑草からは、測定限界を上回る放射線が出ていたことになります。
 7月16日に線量計を落として壊してしまい、一時中断しましたが、再び線量計を入手して2011年9月23日から10月31日まで毎日測定を続けました。2011年11月1日以降は、測定場所を移し、測定頻度も1週間に1回に落としましたが、この観測態勢を、転勤で福島を離れる2013年3月まで続けました。
 2011年10月までは、舗装されていない土壌における地表からの高さ10cmの地点では、1μSv/hを超えることが頻繁にありました。同年11月以降は、測定場所を移したこともあり、測定数値は下がりましたが、この頃から村内各地の除染作業が始まったにもかかわらず、期待していた測定数
値の減少は2012年に入ってもあまり見られませんでした。
 タケノコ採集が趣味だった私の同僚は、自分が村内で採ったタケノコから出荷制限基準(100bq/kg)を大幅に上回る放射性セシウムが検出されたため、せっかく採ったのに食べられないとふさぎ込んでいました。
 当時の私の職場では、研究目的で乳牛を飼育していました。牛乳を販売することは本来の事業目的ではありませんが、子牛を出産した雌牛は、搾乳しないと乳房炎という病気にかかるため、販売目的でなくても搾乳をする必要があります。搾乳した生乳を販売して副収入をあげていました。
 福島第一原発事故後、搾乳した生乳から、出荷制限の基準である100bq/kgを数倍も上回る放射性セシウム(Cs134+137合計値、以下同じ)が検出され出荷停止となりました。職場の土壌中からは出荷制限の基準の数十倍にあたる数千bq/kgもの放射性セシウムがたびたび検出されました。私の職場は法人組織のため、農協の組合員になることができず、酪農の世界では、「アウトサイダー」と呼ばれる生産者でした。しかし、事故で損害を受けた生産者がいれば、それがたとえアウトサイダーであっても親身に相談に乗ってくれた地元・福島県農業協同組合連合会への感謝は、事故から15年近く経った今なお忘れることができません。このような農産物の生産・流通の実態を間近で見ることによって得た多くの知識・経験は、私にとってかけがえのない財産になっています。
それに対して、福島県民の生命・健康・食の安全・生業のすべてを破壊しておきながら、罪の意識もなく、恥を恥とも思わない東電HDは、元福島県民であった私から見れば、まさにならず者の穀潰しと言わなければなりません。
  
2.私たちが受けた具体的な権利侵害について
 私は、福島第一原発事故直後も、また「ALPS処理水」放出後も、一貫して東北地方や福島県及びこれに近い地域の食材をできる限り避けてきました。
 特に、放射性物質が移行しやすいとされるほうれん草は、原発事故後、我が家から消えた食材のひとつです。栄養が豊富で健康にもよいはずのほうれん草が毒草に見え、スーパーの店頭で産地が地元または周辺地域であることを確認しては、溜め息をつきながら棚に戻したことも一度や二度ではありません。
 水道水も飲用に使うことはやめ、ウォーターサーバーを導入して九州地方の水を飲むようにしていました。事故から15年経った現在でも、このウォーターサーバー代を東電HDに払ってもらいたいとの気持ちは変わっていません。
 しかし、水産物に関しては、個人で放射性物質の影響からの防御を図るにも限界があります。
 海の魚は広大な海域を日々、回遊しています。卵からふ化して成魚となるまで、その魚がいつ、どの海域を、どの程度の期間、回遊してきたかを追跡することは事実上、不可能です。このため、「生鮮食品品質表示基準」では、たとえば、長い間福島県沖を回遊してきた魚であっても、たまたまそれが釧路港で水揚げされた場合には「太平洋水域(北海道)産」と記載することができるとされています。
 このような原産地の記載方法が認められているため、私たち国民・消費者が、放射性トリチウム等の放射性物質が含まれている福島県沖を回遊していた魚を避けたいと考えていたとしても、それを実行することは現実的に不可能です。
 「ALPS処理水」の危険性は、単にトリチウムだけにとどまらず、燃料デブリに直接触れた汚染水には通常運転中の原発とは異なる放射性物質が含まれ、それが完全に除去できないことは、更田豊志・原子力規制委員長(当時)みずから国会で認めています。
 被告・国と東電HDは、「ALPS処理水」の放出に当たり、国際原子力機関(IAEA)による確認を受けたことを安全の根拠としていますが、IAEAは、国際的な原子力開発を一貫して推進する立場であり、世界の原子力産業との間で巨大な利害関係を持つため、IAEAの確認が公正かつ中立的立場で行われたかには疑問があります。
 被告・東電HDが、こうした実態を承知した上で、「ALPS処理水」を故意に放出することを計画し、被告・国が許可を与え、放出が実行されていることは、「放射性トリチウムなどによる健康影響が将来、発生するおそれがないとは言えない水産品を摂取することを避けたい」と考える国民・消費者に対する防御権の侵害です。その防御権とは、日本国憲法第25条が保障する健康で文化的な最低限度の生活を営む権利の実体化であると考えます。
 そして、ほぼすべての国民が、日本近海で水揚げされた魚を何らかの形で摂取しているのですから、この防御権侵害による不利益は国民全員に及んでおり、この裁判のすべての原告が原告適格を有していることは明らかです。

4.結論
 以上のことから、国が東電HDに対して行った「ALPS処理水」の海洋放出の許可は不当であり、直ちに取り消されるべきであることは明白です。
 福島地裁が、被災地の裁判所として、国民の基本的人権を守る憲法の立場に基づき、公正な判決を出されることを求め、私の陳述を終わります。

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# by kazu1206k | 2026-05-26 22:45 | 脱原発 | Comments(0)

30日から「いわき復興15周年水石展」

水石から、自然の「侘び」「さび」を感じ、石を愛でる文化。
 水石文化の普及を目指して、いわき市内の愛石団体がいわき水石伝承実行委員会を作り、「いわき復興15周年水石展」を5月30日、31日の両日、いわき市勿来の関吹風殿で開催します。
 30日には女優で水石愛好家の『とよた真帆』さんも応援に来られCDデビュー記念サイン会を行うイベントも。実行委員会では、多くの皆さんにご鑑賞を呼びかけています。

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# by kazu1206k | 2026-05-24 19:51 | 文化 | Comments(0)

学習会ー報道写真家・樋口健二が見た日本の戦後史

六ヶ所核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団から、核燃基礎講座(Zoom学習会)のお知らせが届きました。以下紹介します。

今回は、報道写真家・樋口健二先生のお話を伺います。
「フォトジャーナリズムの世界に入って64年、本格的にテーマに取組み、半世紀が過ぎてしまった。
高度経済成長期の1960年代から東電福島第一原発の大惨事に至るまで、豊かさの裏側に焦点を定め、
ひたすら日本列島をかけ巡って、利潤追求に明け暮れる社会の裏側には常に弱者がいて、犠牲を
強いられるのを見てきた。」という“売れない写真家”樋口健二さんから2回連続でお話をうかがいます。
樋口さんは89歳の今も、元気に撮影を続け、次の写真集の準備をしています。

下記学習会は、後日核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団のHPに、映像を掲載予定です。
日程が合わない方、見逃した方、どうぞご覧ください。

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■■■核燃基礎講座No.13■■■

【報道写真家・樋口健二が見た日本の戦後史 (その1) 】
6月5日(金)13:30〜15:30(延長の可能性有り)
「終わりのないエネルギー公害」
 お話:樋口健二(報道写真家)
 進行:澤井正子 (元原子力資料情報室)

樋口健二さんは、四日市公害を皮切りに、日本中の公害の現地を尋ね、その実情を伝えてきました。
樋口さんが撮影した写真とともにお話を伺いながら、戦後日本の経済発展の陰に追いやられてきた“被害者”
たち、公害・環境破壊の実態、そしてまだまだ人々の身体や心の中で続いている被害について考えます。

*Zoom:参加アドレス(申込みの必要はありません。時間になりましたら、下記に接続してください)


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■■■核燃基礎講座No.14■■■

【報道写真家・樋口健二が見た日本の戦後史 (その2) 】
6月12日(金)13:30〜15:30(延長の可能性有り)
「原発被曝労働」
 お話:樋口健二(報道写真家)
 進行:澤井正子 (元原子力資料情報室)

公害問題を追及していた樋口さんは、多くの原発被曝労働者にも巡り会います。そして被曝労働の実態を確認するため、
カメラとともに原発の中に入ります。『これが原発だ(岩波ジュニア新書)』は、“クリーンエネルギー原子力発電”の
放射能にまみれた実態を、私たちに教えてくれます。
被曝労働者たちは、生活もままならない状態となった身体をかかえ、電力や下請け企業と闘い、労災認定や裁判にも
訴えます。しかし、国・電力は、一貫して「被曝労働者切り捨て」を貫いてきました。

*Zoom:参加アドレス(申込みの必要はありません。時間になりましたら、下記に接続してください)


*樋口健二

樋口 健二(ひぐち けんじ、1937年3月10日 - )は、日本の報道写真家。四日市ぜんそくをはじめとする高度経済成長による日本中の公害や炭鉱、原子力発電所における放射能による犠牲者、被ばく労働、遡ること、戦争の最大の犠牲者 皇軍兵士たちの生存者たちへの唯一の取材や、ジュネーブ条約を破って製造されていたとされる、毒ガス製造命令を、何を製造しているか知らされないまま防護服もマスクも無しに製造させられて犠牲となった 毒ガスの犠牲者(戦争当時少年少女)等への誠実な切実な撮影取材、また 反戦で知られる古今東西の芸術家たちの取材撮影、戦争の記憶の新しい時期の沖縄取材など、常に弱者や一般に生きる人々の側の歴史的真実の写真取材で知られている。犠牲者との了解を得たうえでの撮影スタイルと、そのありのままの痛ましい姿を捉えた写真は、まさに遺言のような写真であり、日本よりも先に海外での評価が高い。それは、日本国内にとどまらずアジア諸国やアメリカ等々でも撮影と取材をし、国境を超えたジャーナリズムとしての意志の表れといえる。
日本写真芸術専門学校副校長、日本写真家協会会員、世界核写真家ギルド会員[1]。
  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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# by kazu1206k | 2026-05-23 17:55 | 脱原発 | Comments(0)

「対話する議会、議員を目指して」、議員研修

 5月21日、令和8年度の議員研修がいわき市役所本庁舎第8会議室で行われました。
 「対話する議会、議員を目指して」をテーマに、佐藤淳青森大学社会学部教授を講師に迎えて、午後2時から5時まで実施され、佐藤教授の研究テーマの一つである「議会改革と“対話する議会”の実現」等について受講しながら、5人程度のグループに分かれ、「SOUND カード」を用いて「対話」のスキルを学ぶワークショップを行いました。
 今回の研修は、議員定数のあり方の検討の一環として、「市民と議会(特別委員会)との対話」に向け、「対話」をテーマに研修であり、議員定数等に係る市民対話だけでなく、各常任委員会単位で行っている市民との意見交換等にも役立つため、全議員を対象として実施されたものです。
  
   *「SOUND カード」とは?
     次の「S・ O・ U・ N・ D」の5 つのステップで構成されるカード・
     (この流れは自治体の課題解決や政策形成のプロセスそのもの)。
      ‣・S(Status):現状認識の共有
      ‣・O(Outcome):ありたい姿やビジョンの創出
      ‣・U(Understand):課題や背景の深掘り
      ‣・N(Negative・Check):懸念や不安の洗い出し
      ‣・D(Drive):具体的な行動の決定

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# by kazu1206k | 2026-05-22 17:26 | 議会 | Comments(0)

「戦争をしない、させない 長崎宣言」日弁連 リーフレット

日本弁護士連合会は、 2025年12月12日、長崎県において開催した人権擁護大会において、 「「戦争をしない、させない 長崎宣言」を決議しました。
 そのリーフレットを紹介します。

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「戦争をしない、させない 長崎宣言」日弁連 リーフレット_e0068696_17432183.png
「戦争をしない、させない 長崎宣言」日弁連 リーフレット_e0068696_17432485.png
「戦争をしない、させない 長崎宣言」日弁連 リーフレット_e0068696_17432764.png




# by kazu1206k | 2026-05-21 17:41 | 平和 | Comments(0)